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境界線の向こう側

“明日 境界線を 越えて行こう”。
この部分が気に入って、ショートフィルムは何度も何度も観た。だから、もう結構歌えます…

済みません、あまり歌えません。
嘘つきました。ごめんなさい。

もともとドキュメンタリーは好きだ。
読売新聞社140周年に際して作られたこのショートフィルムに、我らが佐野元春が新たに書き下ろした楽曲を提供する。
そんなニュースが飛び込んで来たのは3月末だった。

サウンドがどうの、リリックがどうの。そんな解説は僕の役割ではない。既に専門家をはじめ、いろんな人が書いてる。
佐野元春本人のコメントにあるように、全ての境界線を越えて行く時期に来ているのは、薄々誰もが感付いているだろう。

そして、彼はこの曲を全てのジャーナリストに捧ぐとも言っている。
が、しかし。果たしてそれだけだろうか?

境界線。英語にするとボーダーライン。精神医学的?にもボーダーラインと言う言葉が使われることがある。
簡単に言ってしまうと、狂気と正気の狭間。
今回のニュースを知った時、たまたまカート(コバーン)のことを考えていたからそう思ったのかな?って、最初は思ってたけどそうじゃない。

ネットでは大きな話題となった官邸サイドからのメディアに対する圧力。更には現政権が進めようとしている憲法第9条改正。まさに、狂気へと向かっていると言えないか?(右と左の境界線とも佐野さんは言っていた。)

3ヶ月連続シングルリリース第2弾として、iTunesでダウンローディング可能になるのは4月22日。
その10日前に行われた統一地方選での政権与党の勝利。まだ選挙結果が出る前とは言え、ここへぶつけてきたのかな?とさえ思える。

誰かが変えてくれるのではなく、自分で変えていかなきゃならない。 選挙に対してだけでなく、そんな漠然とした自分の思いが、これ以上待っても無駄と歌われる部分とリンクして、まさしくその通りなんじゃないか?と思えた時、霞んでいた視界が一気にクリアになった。
その変化のための一歩、境界線を越えて行こうと言うことなんじゃないかな?と。

まあ、個人の見解であり、深読みし過ぎと言うか、見当違いかもしれないけれど、強ち間違ってもいないんじゃないかな。

間違ってはいないけど、正解でもないよ。でも、面白い見方だね。棟梁、そう言ってくれるかな(笑)

さて、僕が越えて行かなきゃならない境界線って何だろう?今度はそんなことをずっと考えたりして。

#佐野元春 #境界線

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