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「 このモヤモヤに、名前をつけて。 」

なぜか分からないけどなんか苦しい、生きづらい。


なぜなら、、、


「自分で自分のことが分からないから。」


これは決して重篤な状態ではなく、ご飯が食べられなくなった訳でもない。

けれどなぜか苦しくて、言葉にできない謎の生きづらさがあった。

現在21歳フリーターのエッセイ。

私は高校生の頃から自己理解深めるため、自分ノートと名付けた、いわゆる日記のようなものを書いてきた。

いずれは同じように、自分の気持ちを言語化するのが難しいと感じる方やそうでない方にも、笑顔や安心を伝えたり、その人自身の魅力を引き出すことができたらいいなあと思っている。


そのため、エッセイ本を書くことが私の夢だ。


これまで、専門学生、就職、退職、通院、就労支援と経験してきたが、今回はモヤモヤを自覚し始めた高校生の頃にフォーカスして話したい。

そして、「なぜか分からないけどなんか苦しい、生きづらい。」を言語化することで、当時の自分も丸ごと救えたらなと思っている。



1.「学校を休みたい」に理由は無くていい


休み明けの学校。
小学生の頃から大のニガテで、登校日の前日、いやそれ以上前から、決まってモヤモヤが始まる。
そして毎回のように泣きべそをかく。

休みが終わるのか嫌だから?
宿題が終わっていないから?
単にめんどくさいから?

確かに。
でも、それだけじゃないようなストレスを感じていた。

高校2年の2学期頃、それは成長しても変わらず。    
むしろ休み明けに関係なく学校に行きたくなくなっていた。

私の学校では遅刻すると職員室に証明書を取りに行かなければならない。

そこでは毎回
「最近遅刻が多いですが大丈夫ですか?」
と注意口調で聞かれる。

適当にその場をやり過ごしていたが、すでに通学だけで精一杯。
申し訳ないが、そんなこと聞かないでほしいのが本音だった。

そして、休むこともあった。
でも理由が明確ではなく、なんて伝えればいいのか分からない。
今日休んだからといって明日は行けるのだろうか。

定期的にくる休みたい衝動に「またか、、、。」と、自分にうんざりすることしかできなかった。

でも、本当に理由が必要だったのだろうか?
心が休みたがっていることが全てではないかと、今更ながらに思っている。



- ̗̀  風邪を引いたら薬を飲むように。
心が休みたいから物理的に休む。
もし理由が必要なのだとしたら、
風邪をひいた理由が分からないから薬は飲まないのと同じなのかもしれない   ̖́-‬


自分を1番大切にできるのは自分自身。
体も心も不具合を感じたら休むことが必要だ。

しかし風邪予防をするように、日頃から自分と向き合うことで事前に予防はできたかもしれないと、つくづく自己理解の大切さを実感する。

心の状態を自身で理解していて、それを話せる環境があることが最適だ。

もし休む理由は無くても、休む勇気さえあれば心にちょっとゆとりを持たせてあげられる。

また、すぐに見つからなくてもいずれ見つかるものだと思っている。

私は母に話を聞いてもらうことで、自分の気持ちを整理することができた。

そして母から先生に話してもらい、先生にも理解して頂けたおかげで、自分のペースで学校に行くことができた。また、



- ̗̀ 学校へ行けた日は自分で自分を褒めてあげる ̖́-



学校にいくことがデフォルトとされていると、行かないことがマイナスになり、行けたことが当たり前に感じる。

だってみんなしていることだから。

でもそうじゃない。

自分にとってニガテなことが少しでもできたら褒めてあげる。

自信は自分で与えることができるのだ。

そして行けそうな日には楽しみを作って行く。

私は朝から呑気に、コンビニで大好きなパンを買って休み時間に食べたり、購買でコロッケやいももちが買えた日には心が少し満たされていた。

食べることが大好きな私にとっては、自分でできるベストなご機嫌取りだったと思う。
 

2.頑張りたいのに、頑張れない


ああしたいな、こうなりたいな。
それもこれもフワフワとした妄想で終わってしまう。

私が憧れていることは全て夢で終わってしまうのだろうか。

頑張りたい気持ちはどこかにあるのに、体がついていかず苦しかった。

そんな時に出会った言葉


「 頑張れてないって頑張れていることより凄く苦しいんです。

頑張れてるって頑張れないよりも楽なんです。

でもそれってやっぱり分からなくて、

きっとみなさんの中にも近い人で、

この人ってなんだろう。

サボっているように見えるとか、

なんか怠けているように見える。

きっと俺もそう見えてた。

だからそういう人たちがもし近くにいたら、

もしかしたらこれは、

怠けてるんじゃなくて、

サボってるんじゃなくて、

戦ってるのか。

戦ってるのかもしれないと、

思ってくれる人が1人でもいるだけで、

僕はすごく救われると思うんです。」

SEKAI NO OWARI Fukaseさんの言葉


- ̗̀ 頑張れないって苦しい ̖́-

私の気持ちが言語化されていたその言葉に、
そう思ってもいいんだと救われた。

またそれは- ̗̀ 戦ってるいる   ̖́-のだと。

もっと他の誰かに寄り添うことができたと反省した。

私はみんながやっていることができなくて、辛くて、そんな自分が嫌いだった。

それでもここから抜け出したい。
これ以上落ち込んでいたら、自分は本当にダメになると思っていた。

だから、もし当時の私に会えるならこんなメッセージを送りたい。


「とっても苦しいよね。  

でもあなたは悪くない。

決して自分を責めないで。

たまには散歩に出掛けて太陽を浴びたり、

誰かと会って話したりして、

外の世界を見に行くのもいいんじゃない?

どうしようもなくなったら、

早めに病院に行ってみる方法があることも、

経験した今なら教えてあげられる。

これは決して弱さではなく、

あなたを愛することのできる

ひとつの選択だから。」


私は、不安定な精神状態を安定させたり、やる気がしない、なにも興味がもてないといった状態を改善させる薬を服用している。

1年程経ち、通院する前に比べてだいぶ精神状態が良くなった。

通院に至るまでは、薬を服用することへの不安や一時的な改善がみられたこともあり、病院の予約をキャンセルしてしまったこともあった。

でも、今は行ってよかったと心の底から思えている。


─  頑張りたいのに、頑張れない。

そんな自分がイヤになる。

だけど絶対に自分を責めないで。

周りと比べなくていい。

今を生きていることが何よりも一番素晴らしい。

自分のペース = マイペース

それでいいんだよ。─

(2021.自分ノートから)


当時の自分もこんなこと書いていた。

心ではこんなこと思えなくても、書くだけでちょっとでも自分を鼓舞できる。

3.ニガテとかじゃなくて本当にムリ


私は勉強が大のニガテだ。

高校の特色受験が終わり、中学最後のテスト。
満面の笑みを浮かべる担任の先生から

「本当に特色で合格して良かったね〜」

と返されたテストは、いつも通りすごい点数(悪い)で、人生で初めて特大の苦笑いを経験した。

高校に入ると勉強嫌いはさらに加速。
毎回泣きべそをかく私に、親切に教えてくれた友人には本当に感謝してもしきれない。


そして事件が起こる。


高校2年の冬、青信号で左折してきたトラックと私の自転車の接触事故があった。

双方確認不足。

幸い、手の擦り傷程度で済んだため良かったが、
テスト勉強がイヤすぎて物思いにふけていたなんて、、、言えない。

あの勉強嫌いなメガネ少年N太くんと張れる程だと自負している。しかし、



学生=勉強。



呆れられてしまうかもしれないが、私にはその概念が重くのしかかった。

なんで自分はこんなにも勉強が嫌いで、周りと同じように頑張れないのか悩んだ。

でも本当に心の底からイヤだった。

今思うと勉強が苦手な自分を好きになってあげられたら楽だったのになあと思う。



でもある時、それには- ̗̀ トキメキ ̖́- が必要だったことに気づいた。



当時の私は、

・勉強をしなければならない

↪︎でもやりたくない

↪︎周りと比べる

↪︎頑張れない自分を責める

↪︎自信をなくす

↪︎それでも勉強が嫌だ

このループ。



実際その当時、他に頑張れていたことはあったのにも関わらず、私はなにも頑張れていないと落ち込んでいた。

しかしその頑張れていたものこそ私のトキメキで、勉強嫌いな自分を好きでいられる理由になったのだ。


かといって、やらなきゃいけないことは、やらなきゃいけないから生きるって難しい。

苦手も好きも、やりたいもやりたくないも、何を選択したら自分らしくいられるか。

例えそれだけでは解決できなくても、
自分にはこんな選択肢もあるって思えるだけで心がちょっとほぐれる。

4.過去の栄光に縋る


私の中学時代は全て部活に捧げていた。

部活のために学校に行っていたし、土日も休みなく活動していた。

もしその頃をもう一度、と言われても
そんなのできないのではないかと思う。
そのくらい毎日大変だった。

でも、ありがたいことだったと気づくのは過ぎ去ってから。


「あれをやり切った過去がある!」


と胸を張って言える。



「本当にあの時よく頑張った自分!
高校生の今では絶対に耐えられない。
私の人生で唯一の誇れることかな〜、、、。」



あれ、、?もしかして過去の栄光に縋ってる?



そう考え始めるようになってからはとても苦しかった。

頑張れていた過去の自分を知ってしまっているから。

当時高校生の私は、人生キラキラピークが過去にあるなんて、もうどうすればいいのか分かなかった。

でも今なら冷静に考えられる。



Q.なぜ、過去の自分は頑張れていたと思うのか?

A.辛くて大変だったけど、できるようになりたくて、そのためには毎日の積み重ねだったから。
そして、自分も仲間と一緒にやりたかった。

Q.なぜ、それを栄光だと思えるのか?

A.乗り越えたから。
大変なことでも挑戦し続けて、結果楽しいと思えたから。



できるようになりたかったことを頑張った結果、それを楽しいと思えるようになったから、自分の中で唯一誇れることだったのだ。

また、それ以上のことをまだ経験していないから過去に縋っていた。


しかし、他人と比べるのではなく、過去の自分と比較しているという所から成長の見込みはあるとみることにした。笑

そのため縋るのではなく、過去に感謝して、なぜ過去に囚われてしまうのかを紐解いていくと、
次はもっと羨ましいと思える過去が、きっと作れると思い、前向きにいきたい。

タイトルについて

このタイトルは、当時の私の気持ちそのままだ。

モヤモヤし始めて2年程経った頃、
「HSPとグレーゾーン」
という本に出会った。

書店でパラパラと立ち読みしてみると、
これ私じゃん
そう思える項目がいくつもあった。

それと同時に高揚した気分になり、さっそく買って帰るとすぐに母に話した。

しかしHSPやグレーゾーンは病院では診断されない。

だから正直、自分は本当にこれに当てはめてよいのだろうかと悩んだ。

それ以降生きづらさを感じる度、
自分を何かの分類に当てはめてほしい。
そうすれば少し救われる気がするから。
ずっとそう思ってきた。

そして4年越しにやっと病院に行くとこまでたどり着いた。

不安障害・パニック障害と診断されたが、よくテレビなどでよく紹介されているような症状とは当てはまらないため、初めはあまり納得がいっていなかった。

しかし、薬を毎日きちんと飲んでいたら効果が現れ始めた。

「このモヤモヤに、名前をつけて。 」
は私のように、よく分からないけど苦しいと思っている方に向けたメッセージ。

名前がつけば、理解してもらえるんじゃないか。  
そう思っていいと私は思う。

それよりも、今このタイトルになぜか惹かれてしまうと感じていたら、このエッセイをちょっとしたエネルギーにしてほしい。

私はそんな方たちの言語化の手助けや、トキメキを引き出せる人になりたい。

そのためにエッセイ本をかく夢を叶える。

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