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思い込んでは裏切られ者


 早朝から夜遅くまで、宝塚の生徒が行き交うお稽古場の廊下。
 数年前、私はその廊下の片隅で小さな鉢植えを見付けた。
 それは、植木というよりもインテリアグッズ。
 どこにでも置けるミニサイズの植木鉢に、指の長さほどの弱々しい木の子供が生えていた。
 どうやら、誰かがすっかり忘れて置き去りにした頂き物らしい。
 へにょっとした葉は、よくよく見ればパキラのようだ。
 お稽古に来るたびに、私は横目で小さなパキラの様子を見ていた。

 周囲に聞き回っても持ち主は分からず、もう捨てようとなったところで私はその鉢を手に取った。
 黄色がかっている葉っぱは、ちょっとでも強く触れば潰れてしまいそうに脆弱な質感。
 根も浅く、グラグラしている。
 それを、私は持ち帰った。
 廊下のゴミ箱の中ではなく、せめて太陽の当たる場所で枯れていってほしい、そう思った。


 私の母は、植物を育てるのが素晴らしく上手い。
 東京公演が始まる時期だったため母にパキラを丸投げしてから一ヶ月ほど経って、家に立ち寄った私は驚いた。
 とっくに枯れたと思っていたパキラは瑞々しい緑色の葉を広げ、幹も少しだけ太くなっていたのだ。


 年齢を重ねると、昔よりもとても物知りになったつもりになる。
 私は、新しい出来事に今までの知見を当てはめて結果を予測しようとする。
 自分の経験の価値を信じたくて、自分の考えが正しいと示したくて、いつだって私は思い込みをやめられずにいる。
 この木は、枯れる。
 あのひとは、こういうひとだ。
 私は、正しい。
 そういう、幾つもの事柄について。


 しかしパキラは、枯れなかった。
 根っこは逞しく立ち上がり、健康な褐色の幹は私の手首より太くなった。
 あまりに成長するので、母は添え木をしてあげた。
 それを良いことに、さらに上へ上へと伸びたパキラは、なんと天井に到達した。
 背が高くなる品種だから、不思議なことではない。
 だが、出会った当初の姿からはあまりにもかけ離れた成長ぶりには驚くばかりだ。

 パキラは寒がりなので、室内で育てている。
 天井に付いた部分は切ってしまうのだが、それでもパキラは諦めない。
 置かれた環境にめげずに、何度切られても天井に頭をぶつけにいく。
 こちらとしては上に伸びずに葉を茂らせてくれたら良いんだけど、きっとそんなセオリーで大きくなっているのではないのだ。
 水をやり陽光に当て、大きな鉢に植え替えてくれた母が、このパキラの運命を変えた。
 その優しさに応えるかのように、パキラはぐんぐん成長している。


 切り落とした天辺の葉を、母は捨てない。
 花瓶にいけられ水を吸い上げるパキラの葉を見るたびに、私は少し元気が出て「よし頑張るか」と思う。
 何年も前にゴミ箱に入れられていたはずの、パキラ。持ち主にさえ忘れられた、あの日のパキラ。
 それが今や、リビングのちょっとしたインテリアどころではない。
 家に来るお客さんをギョッとさせるほどの、圧倒的な存在感を放っている。


 先日、博識な先輩がひとつのニュースを教えてくれた。
 あるおうちの庭で十五年間育てたパキラが初めて花を咲かせ実をつけた、というのだ。
 パキラの花は滅多に咲かないそうだが、早花の家のパキラもいつかきっと!!と、先輩は熱弁していた。
 他人の家の観葉植物が宿す大いなる可能性を信じてくださる、なんと素晴らしい先輩だ。
 でも、そんな奇跡のような出来事が現実になるだろうか。

 私は、うちのパキラの花は咲かないと思っている。
 そしてこの愚かな思い込みを、盛大に裏切られる日を待っている。
 パキラよ、頑張れ。蕾を抱け。
 私の思い込みなど、天井もろともブチ破れ。

 きみの花言葉は、快活と勝利。






読んでくださり、本当に有難うございました。 あなたとの、この出会いを大切に思います。 これからも宜しくお願いします!