マゴムスメ・ライブラリー 15
「あれはね、盛岡の南部鉄器よ」
祖母がそのお話をしてくれたのは、私が「最近、どこかの風鈴の音が聞こえるんだよね、夏になったねー」と他愛もなさすぎる世間話を始めたのがきっかけだった。
私が子供の頃によく遊びに行った祖父母の家には、南部鉄器の風鈴があったのだ、と。
そう聞いた瞬間、長い間……おそらく20年以上も忘れていた記憶が、まるで薫香が薫るように立ち上ってきた。
「そういえば昔、ばあばのおうちで見たことがあった。緑がかった、小さな風鈴」
でも、音色は全く思い出せなかった。
「あれは、もうずっと掛けていなかったからね」
本来の役目を果たさなくなり居間の和箪笥に保管してあった風鈴を、母が見せてくれたのかもしれない。
縁側か畳の上に、それはころりと置かれていて、触れた時の冷たくて硬質な感覚まで思い出した。
今から75年前、盛岡から東京へお嫁に来た祖母は、南部鉄器の風鈴を新居の軒下に吊るした。
しばらくして、風が吹くたびに鉄器特有の音が近所迷惑になるのではと考え、硝子造りの風鈴に吊るし替えたのだという。
「盛岡の風鈴って、どんな音だったの」
そう訊ねると、祖母はしばらく沈黙した。
そして、「なんていうのかなあ」と呟いて、続けた。
硝子の風鈴が”ちりん、ちりん”なら、
「盛岡のは鉄だからね。高い音が”りーん”と、重く響くのよ」
祖母が盛岡で暮らしていた当時、周囲の家々の風鈴は、ほとんど全て南部鉄器のものだったそうだ。
祖母曰く、住宅がそれほど建ち並んでいなかったから、その音を喧しく感じることはなかった。
「それが東京へ来たら、あら! 塀のすぐ近くに、お隣さん」
故郷の街とは違い、風鈴が騒音の元になってしまった。
幼い頃から馴染んできた風鈴を軒下から取り外す時、寂しくはなかっただろうか。
「少しだけね」と、祖母は笑った。
色褪せた切なさに胸を締め付けられる私をよそに、祖母は意外と現実的な言葉を続けた。
「結構、うるさかった」
「やっぱり、ばあばもうるさいと思ったんだね……」
「鉄だから、見た目は全然綺麗じゃないし」
「いや、風情があって、素敵だと思うよ……」
「風が強いと、うわあーんって、すごい響いちゃってね」
それはそれで、私は好きだったけどね。
そう付け加えて、祖母は微笑み、しばし口をつぐんだ。
きっと、記憶の中の懐かしい響きに耳を傾けているんだ。
役目を終えても捨てられることはなかった風鈴には、優しい郷愁が宿っていた。
祖母の家を大捜索したら、小さな深緑色の釣鐘と再会できるかもしれない。
今、私が住んでいる家に届く風鈴の音は、ごく小さい。
窓を開けていると、どこか遠くの方から”ちりん、りーん”と音がする。
作業の手を止めて、テレビを消して、ついつい耳を澄ませる。
あれは、風が通ってる音だから。
だから、吹き溜まった蒸し暑さが流れていくような気がするのだ。
風鈴とは、自分が夏を楽しむだけではなく、遠くの誰かに涼を届ける道具でもあるのか。
我が家の近所で風鈴を吊るしてくれている誰かさんに、「おかげで私は一休みしています。ありがとう」と伝えたい。
この夏は私も、遠くの誰かの一休みのために、風鈴を吊るしてみようかな。
少し無骨な、掌の温もりがこもった南部鉄器の釣鐘が良い。
過去と今をつなぐ風鈴を見つけて、祖母と同じ夏を過ごそう。
出来ればご近所迷惑にならない程度の、軽やかな音色で。
読んでくださり、本当に有難うございました。 あなたとの、この出会いを大切に思います。 これからも宜しくお願いします!