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花籠の底

 とてもマイペースに、お引越しの準備をしている。
 人生の中でお引越し経験が少ないので、お引越しに慣れているひとの荷造り技術とスピード感がとても羨ましい。
 とっておくもの、捨てるもの、とっておきたいけれど捨てるもの。
 のろのろと仕分け作業をしていると、お引越しといえば、、、と思い出すことがある。(こんなふうだから作業が進まないのだ。)
 歌唱指導の楊淑美先生が、宝塚の街から遠くへお引越しをされた時のことだ。
 歌の技術はもちろんのこと、舞台に立つための心構え、レディとしての教養、世界一美味しいタイ料理のお店に至るまで、私は楊先生から多くのことを教わった。
 まさに、私の人生の師匠である。
 当時、お引越しの前日に先生のおうちを訪ねることになった私は、贈り物について悩んでいた。
 先生へのお礼を何か形にしたいけど、お荷物になってはいけない。
 その上、楊先生の身の周りの物はどれも素敵でご自分らしく、洗練されている。
 高価さやブランドに拘るのではなく、本当に使い心地の良いものを選び抜き、長くお持ちになる方なのだ。
 生徒としてもひととしてもド未熟な私から差し上げられるものなど、何も無い。
 先生はどんなものでも喜んで受け取ってくださる方なだけに、私は考え込んでしまった。        

 悩んだ末に私が思いついた贈り物は、あろうことか、お花だった。
 お引越し前のプレゼントとして、こんなに迷惑なものはないだろう。
 お部屋にお花を飾れるのはたった1日だけだし、出来るだけ物を減らしたい時に、よりによってお花なんて!

 私は、もう一度よく考えた。    
 絶対にお花は邪魔だと自分に言い聞かせ、楊先生のお顔を思い浮かべた。
 そして、私はお花屋さんへとまっすぐに歩き出した。
 先生のお顔を思い浮かべたらもう、お花以外の贈り物なんて考えられなかった。

 開いたばかりのお花屋さんに行って、「急いで作って頂けますか?!」    と無茶を言った。
「白いお花の、小さなアレンジメントを作ってください。尊敬している女性にあげたいんです。」

 出来上がったプレゼントは、手早く作ったとは思えない素敵な出来栄えだった。
 真っ白なバラと、白い花弁が可愛らしい季節の花々、瑞々しいグリーンが小ぶりな花籠にぎゅっと身を寄せ合っている。
 それを持って、楊先生のお宅へ到着した。西洋の小説に出てくる洋館のような先生のおうちは、もうすっかり片付いていた。 
 出迎えてくれた先生に、お花を渡した。
 その時の先生の笑顔は、今も忘れられない。
 ちいさな花籠をとても丁寧に受け取った先生に、私はおずおずと言った。
「お引越しなのに、邪魔なものを持って来て申し訳ありません。」
 今更恐縮する私に、先生は笑って囁いた。                 「お花をもらって、喜ばない女なんていないわ。」

 これは、「女性は皆、花を愛でるべきである。」というお話ではない。
 お花が嫌い、興味がないというひとは沢山いる。
 これはもっと個人的な、単なる私の憧れだ。
 あの日、先生がお花を受け取ってくれた理由のひとつは、本当にお花が大好きだから。
 そしてもうひとつ、お花を持ってきた私の思いを大切に汲み取ってくださったから。
 私も、そういう女性になりたいと思う。
 たとえかなり迷惑な状況でも(ごめんなさい)、お花を見たら笑顔になれる。
 そして、愚かな生徒が非常識な贈り物を持ってきても(本当にごめんなさい)、花籠の底に隠れた「先生、大好き!」を見つけてあげる。
 そんなやわらかな心のゆとりを持つ、先生のような女性に。
              

「花をもらって喜ばない女性はいない。」
 この言葉は、私の心に深く根をおろした。
 それがただの主義主張や決めつけではなく、先生が私を喜ばせるために言ってくださった言葉だから。

                                       このお話には、もうひとつおまけがついていた。
 それから数日後のこと。
 あのお花屋さんの近くを通りかかった私は、先生へのアレンジメントを作ってくれた若い女性の店員さんがいるのを見つけた。
 店員さんにとっては、1日に幾つもあるお仕事のひとつだ。
 もう私のことなんて覚えていないだろうし、話し掛けたら怪訝な顔をされるかもしれない。
 そう思ったものの、気がつけば声を掛けていた。              「あの、先日は白いお花のアレンジメント、有難うございました。お世話になった先生に差し上げて、とっても喜んでもらえました。」
 忙しそうだった店員さんは、手を止めて、ああ!と明るい声をあげた。    「よかった!ずっと、気になってたんです!」

 小さな白いお花が、忘れられない笑顔を次々と運んでくれたお話。

読んでくださり、本当に有難うございました。 あなたとの、この出会いを大切に思います。 これからも宜しくお願いします!