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嫉妬は憧れ

「他人に気を遣いすぎている」と最近よく言われる。
言われるまでその自覚はなかった。
でも、『人に迷惑をかけるな』と言われて育ってきたので、それが今こうなっているのかも、とは思う。

幼稚園くらいまではそれなりにわがままを言っていた(と思う)。
小学1〜2年生まではとんでもなくマイペースで、かなりトンチンカンだった。おそらく先生の話はほとんど聞いていなかったし、中休みや昼休み終了のチャイムも聞いておらず、授業に遅れて怒られることもたくさんあった。(今の私では考えられない)
イタズラをするタイプではなかったが、何かダメなことをして母親にも散々怒られた。

突然覚醒し出したのは3年生くらいから。
宿題や漢字テストの予習もちゃんとやるようになった。
(それまでは、「宿題」の意味がわかっていなかったのでやったことなかったし、テストも散々だった)

覚醒と同時に、周囲の反応もすごく気になるようになった。わがままや、自分の気持ちを自由に伝えることは、嫌われる原因になるんだと思った。
今考えると、その年齢特有のギャグエイジだったのだが、リーダー核の子から嫌われないように必死だった。無視されたり仲間外れにされるのが怖くて、自分の気持ちにそぐわなくても同調したり、我慢したりしていた気がする。

高学年になってからは優等生タイプだった。
勉強や運動は得意な方ではないし、自分の容姿も好きではなかった。面白いことも言えないし、柔軟な発想力もないし、友達の方が可愛い絵が書けたし。自分自身の誇れるところは、他の人より少しだけ字が綺麗だったことと、クラブ活動で楽器が少し演奏できることだけだった。
なので、遠足の班長とか、学年代表とか、そういうのをやることで自分を認めてもらおうとしていたのだと思う。
それに、そういう類のものを担うのも別に嫌いではなかった。
皆がやりたくない面倒なことでも「誰かがやらなきゃいけないしな」と思い、立候補するタイプだった。みんなの役に立てればよかったので、自分はどうしたいのか、という気持ちはよくわからなかった。とにかく、迷惑をかけたり、嫌われたくなかった。

そんな感じで大学まで進んだ。
中学では生徒会長を務め、高校の卒業式では答辞を読んだ。周囲の大人からは「いい子だね」と褒められた。同級生からも「すごいね」と認めてもらえた。でも同時に、優等生なだけのつまらない女でもあった。

大学での実習先にて、発想力がなさすぎて、レポートが散々だった時、指導者から「子どもの頃、どんなことして遊んでたの?」と聞かれた。
インドアで(鈍臭くてノロマだったので外遊びは大嫌いだった)、塗り絵なども見本も同じ色を塗るような子だったと伝えた。いい子でいなきゃいけないと思って生きてきたと伝えた。

指導者には私の性格がわかっていたのだろう。
「もっと自由に生きていいんだよ」
そう言われた。

ハッとしたけど、素直に受け入れることはできなかった。
もちろん自由な人は羨ましいと思う。妬みすらある。
でも、「自由に生きたら、その分誰かが我慢しなきゃいけないじゃないか。だったら私が我慢すればいい」そう思っていた。
みんながみんな自由に生きたら、世の中は成立しないと思っているし、羨ましく思いつつも、誰かに迷惑をかけるかもしれない自分が嫌なのだ。嫌われたくない、その気持ちが根底にある。そして自ら我慢していることなので、自由な人の文句も言わないようにしている。

なんて生きづらい性格なんだろう、と自分でも思う。そうしてるのは自分なのに。

でも、この自己犠牲は仕事に活きている(と思っている)
言い方を変えれば「他人に尽くせて支援が得意な人」。
人より出来ないことも多いが、その分少しだけ観察力や洞察力があったりする。

誇りに思いつつも、もう少し楽に呼吸できるようになりたいな、と思う日々。自分で自分を苦しめすぎないようにしたい。


自分語りでした。

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