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いと高き方のもとに

オズワルド・チェンバース(著) 2月22日 静まって、わたしこそ神であることを知れ。 詩篇46-10協会訳 ねばり強さ ねばり強さは、忍耐以上のものである。それは、探し求めているものが必ず見出されるという絶対的な確信である。 また、それはよりすがる以上のことである。よりすがるという行為は、そこから落ちることを恐れる弱さにすぎない。 ねばり強さは、主イエスが決して敗北しないことを固く信じる。弟子たちが抱いていた最大の恐れは、彼らが滅ぼされるということではなく、彼らの主

    • 刈り入れ時は過ぎ、夏も終わった それなのに、私たちは救われない

      [エレミヤ書8-20より読まれた詩] 恵みの時は終わりに近づいている。広い世界に今や静かに、終わりの日が近づいている。遠い砂漠の底から不安な叫びが聞こえてくる。私たちの真っ暗な夜には決して光が差し込まない。私たちを照らす、神の恵みなくしては私たちは苦しみと闇の中。暗い道を行かなければならない。永遠に。永遠に。 あなたたちは歌い、喜びに満ちて「自分は神の子」であると言う。私たちは死の生贄であり、恐怖に満ち酷い苦しみに満ちている。あなた方はなぜ、立ち止まって行って、夜の始まる

      • 主のご再臨を否定した世界経済フォーラム会長

        主は地上に人の悪が増大し、その心に計ることが、みな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。  (創世記6章5節) コロナ禍は、新しい世界秩序に向けて仕組まれたものとの見方がありますが、それを裏付けるかのような発言を世界経済フォーラムのシュワブ会長の娘がしています。 「パンデミックを起こし、恐怖を煽ることによっていかに世界中の人間が従順に従うかを試した。…そして今回それが成功した」と。  恐ろしいことですが、父親のシュワブは恐怖を煽りながら従わせるグレートリセット

        • わらじ履きの宣教師

          西郷に洗礼を施したバラ宣教師の日課は、住まいにしていた成仏寺から南に1時間ほどの所にある小高い丘まで毎朝散歩に出かけることだった。大きな松の老木の根元に座り、眼下に見渡す横浜を見ながら、日本の救霊のために毎朝祈りこんでいたという。 彼は、横浜海岸教会設立の7年後の明治12 年、静岡、伊豆、神奈川、山梨、東京、岐阜、信州、盛岡に至るまで伝道の徒歩行脚を敢行した熱情の器だった。 三島から御殿場の伝道旅行の際、三島大社前で路傍伝道している姿は、何とつぎはぎだらけの服にわ

        いと高き方のもとに

        • 刈り入れ時は過ぎ、夏も終わった それなのに、私たちは救われない

        • 主のご再臨を否定した世界経済フォーラム会長

        • わらじ履きの宣教師

          オズワルド・チェンバース

          いと高き方のもとに 7/29 見よ、彼が、雲に乗って来られる。黙示録1:7 [雲の果たす役割] 聖書では、雲はつねに神と関連して出てくる。私たちの個人生活にとって、雲とは悲しみや苦しみをもたらし、神の秩序を乱すように思えるものである。 しかし、この雲を通して、御霊は私たちに信仰によって歩くことを教えられる。もし雲がなければ、私たちは少しも信仰を持たないだろう。 雲は、神がそこにおられることのしるしである。悲しみや苦難が、神を伴う雲であるとは、何とすばらしいことだろうか。神

          オズワルド・チェンバース