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ずっと生きづらかった


子供達と同じくADHD特性を持つ私。



「変わってるよね」「挙動不審でウケる」
「オドオドしてて見てたらイラつく」等
 様々な声を頂き生きてきました(泣)

私は人一倍素直だと思っているので、
そういう声をストレートに飲み込んで
「自分はそういう人種なんだな」と
認識していました。

ですが、私は本来「楽しい事が好きで
皆とわいわいするのが好きな元気な人」
だと思っています。それが子供時代の
辛い経験によって完全に潰れてしまい、
なるべくしてそうなってしまったのです。

オドオドや挙動不審は完全に小〜中学校
時代の虐め経験や家庭での環境によるもの
であったと今でも力強く言えます。

とにかく小さい頃からずっと生きづらさ
を感じてきました。

幼稚園時代は
失言を連発してお友達に引かれ
なぜかお遊戯会で出たくないと泣き叫び
それをお友達にも保護者の皆様にも見られ
親には後々まで「恥ずかしかった」と
事あるごとに言われる始末。


小学校時代から中学校卒業までは
記憶から抹消したい位の暗黒ぶりで
正直今もあまり思い出したくない。

何かを習得するのに人の2倍時間を要する私。
勉強もあまりついていけず、運動神経もゼロ
だったので体育の授業も嫌いでした。

そして、高学年になるとなぜか1人の女の子
に目をつけられ、ずっと嫌がらせをされて
いました。

・上靴を隠される
・定期券を隠される
・カバンの中身を2階から下の階のホールに
 ぶちまけられる



他にも色々されていたと思うのですが、
辛すぎたからか記憶が無い…(^_^;)

その後中学校に上がって一年生の頃は
まだ平和に過ごせていましたが、
二年生になって今度は素行不良の
男子に目をつけられ、小学校時代より
エグい嫌がらせを沢山受けました。


・椅子にノリを塗ったくられて、知らずに
 座った私の制服のスカートが終了
・金を要求され、嫌がったら飛び蹴りされる
・食べ終わった後の食器を私の机に置きに来て
 片付けを要求してきた上に他のクラスメート
 の分までこちらに寄越してくる
・いろんな雑用をさせられパシられる

二年生で同じクラスになったメンバーは
卒業までそのままなので、現実に絶望しながら
地獄の学校生活を送っていました。

私が辛かったのは、
目の前で私が嫌がらせをされていても
みんな見て見ぬふりで誰も助けてくれなかった事。

わかる。みんな自分の身が大事だし、自分に
被害が及ぶのは嫌ですもんね。

でも、だからってなぜ私が嫌な思いをし続けなきゃ
いけないのか。

当時は親が求める「姉らしさ」や
「これくらいできるでしょ」のハードルと
自分の能力やキャパとのギャップに
めちゃくちゃ苦しんでいたので、
学校でのストレスと家庭でのストレスの
二重奏により私の頭には酷い湿疹
ができてしまいました。



「親には迷惑かけれない」
「言ったら嫌がらせがエスカレートするかも」
「皆に変わり者っていわれてるしきっと自分のせい」

こういった考えが呪詛の様に
私の脳内を支配。
今思えば、もっと本気で泣き叫びながら嫌がる
とか「助けて」とか言えば良かったのかもと
思いますが、きっと当時の環境では不可能だった
んじゃないかなと思っています。

先生や親に言えば確実に
「チクッた」とバレて嫌がらせが
エスカレートするのは目に見えていたし、
友達も仲良くはしてくれてたけど肝心な
時に助けてくれる事もなく、
家ではどうしてもわからない勉強も父に
「何でできないんだ!」と怒られたり、
私のペースより世間や自分基準の価値観を
押し付けられる…

そんな日々が続いて遂に限界が来たのか、
気がついたら車の行き交う道路にふらーっ
と歩いていきかけたり、紐を首に引っ掛けて
いたりといよいよやばい行動に出ていました。


色々やばいエピソード満載(;´д`)
以上の経験から、見事に下記の様なこじらせ
人間の私が誕生してしまいました。


「人と関わる事が怖くなり普通に喋れない自分」
「必要以上に周りに合わせる自分」
「誰も信用できないし頼っても無駄という考え」
「自分が全て悪い、自分は価値なんてない人間」
「親の求めるレベルになれない自分はダメな子」
「人前で発言する事を極度に避ける自分」


これらをずっと抱えていたから、
生きづらいのは当たり前。

本当に直近の数年前に転機が訪れるまで、
ずいぶんと人生を損してしまいました。

そんな私が変わった転機の話はまた次回で(・ω・)ノ

ここまでお読み頂きありがとうございました。






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