10/15リフレクション


1.「識学」を公教育に導入できないものか

先日、財務省の資料がⅩ(Twitter)で流れてきました。

下記ポストより引用

で、これに対して「財務省許すまじ!」「教育を軽んじているのか!!」みたいなお決まりの反論が百出していまして。文科相も反論したみたいなんですけども。


私(教員の端くれ)としては、財務省の言い分にも一理あると思うんですよね。持続的・効率的という視点で、民間企業に比べて公立学校にはまだまだ出来ることがある、まだまだ雑巾絞れるでしょ、と。勿論「(人が)もっと頑張れ」という根性論ではありません。もっと仕組みで解決できるでしょ、って話です。

先日読み終えたこの本にヒントがあるかな、と思うんですよ。

この本が指摘している「属人化のリスク」(同著p.42)と「仕組み化の不十分さ」が、正に学校という組織文化に蔓延していると感じました。たとえば、担任の先生が(体調不良などで)急に長期間不在になったときに荒れるクラス。引き継ぎができていない(同著p.75)んですよね、属人化されていて。そして「替えの利かない人になりたい欲望」(同著p.23)が蔓延しているように感じます。自戒も含めて(苦笑)。

ただ、当然ですが公教育は民間企業と違う。「不適切な人にバスを降りてもらう」(同著p.69)ことは、原理上出来ない。どんな子ども(顧客)も受け入れる必要があるし、雇用の流動性も(今の仕組みでは)極めて低い。さらには「売り上げ」「利益」のような、明確な数字として仕事の成果を測る仕組みが無い。どんなに重い分掌背負っても、頑張っても給料面では報われない、「やったもん負け」だし。この本で解説されている「識学」がそのまま公教育の現場で使えるとは到底考えていませんが、状況を打開するヒントには成り得るんじゃないかなとは感じています(状況というのは、冒頭のような省庁レベルの話ではなく、あくまで現場レベルの話です)。

たとえが適切かわかりませんが、下から上に水が流れるほど民間企業とは違うように感じるんですよ、公教育というフィールドって。仕組み化の手前の話として。そんな場所であっても、市場原理を前提としているこの「識学」の知見が活用できるんじゃないか。そんなことを考えています。

…全然ボヤっとした文章ですねm(_ _)m もう少し、自分の中で煮詰めて解像度上げます、ごめんなさい。

2.今週のリフレクション

・水~金はサボった。全然ダメ。ラクな方に流れた。
・火曜日の授業は大当たり。大学教授の凄みを知る。
・水曜日の学長講義も◎ レポートしっかり書く。
・自主ゼミも良かった!これぞ大学院生という時間の使い方。
・健康面◎ 10kmジョグ含め週4練習、筋トレ、食事制限。

3.来週の見通し

・火曜日の資料提出までは短距離走。全力で。
→こうなったツケをしっかり痛感する。二度とこうならないように、タスクマネジメント、モチベーションのキープをしっかりと。
・火曜日午後は家事。
・水曜日午後、ディベート。視野を広げる。ワクワク。
・木曜日、都内で授業見学。目的意識をしっかり持って、学ぶ。
・金曜のランチ約束、楽しみ♪
・金曜夜、土曜夜~来週月曜朝まで妻不在、ワンオペ。

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