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砂漠、星の下で。

 いま砂漠のど真ん中、満点の星空の下でこのnoteを書いている。車の屋根の上で寝ているので、星がとても綺麗だ。最近、視力が悪くなったかなと思う。どうせなら2.0の視力でこの満点の星空を拝みたかった。
 この文章はもしかしたら自分がこの現世に残せる最後の文章になるかもしれない。これは半分くらい冗談で半分くらい本気だ。というのも自分たちの車が砂漠のど真ん中ではまってしまってい、動けなくなってしまったのだ。「道なき道を通ろう!」とふざけていたら、タイヤが砂に巻き込まれてしまい、車が動かなくなってしまった。日の入りまで3人でタイヤの周りの砂を掘り続けて、ゴムサンダルや服、車の足元にあるゴム製のシートを噛ませたりして何度か車を進ませようとしたが、上手くいかなかった。
 幸い、国立公園の中で止まっているし、有名な観光地でもあるので誰かしらの車が通るだろうと見積もっている。しかし「もし車が来なかったら」という最悪の場合の想定が自分たちを不安にさせる。焚き火をして、ガスコンロで調理したパスタを食べながら、次の日の作戦について話し合う。問題は水が足りないことだった。念のため、5Lの水と1.5Lの水を2本買ってきたが、もう4Lくらいしか残っていない。買っておいたジュースも穴を掘ったことで乾いた喉を潤すために飲み切ってしまった。この「水が足りない」という事実が自分たちをより不安感を増大させた。どれだけ頑張っても水が無ければ人間は約3日で死んでしまう。ましてや砂漠となれば日中はとても暑く乾燥しているため、3日ともたない。(幸い砂漠の夜は寒い。砂は熱を保存しないからだ。ただ夜になっても砂の中はまだ保温されている土があり温かいことを手を突っ込んだことで知った。)
 夜になると急に賢斗がシリアスになり始めた。表情と声色から本当に死ぬのを怖がっているのが分かる。そんな賢斗を見ながら、自分が全く「死ぬかもしれない」ことに対して鈍感なのが分かった。たぶん身体に異変が起き始めるギリギリまで自分はこんな感じなのだろうなと思った。
 しかし思ったのは、みんなで生き抜くためには自分みたいな能天気に物事を考える人間も賢斗みたいにシリアスに物事を考えられる人物も必要だということだ。明日のことはどうなるか分からない。普通に助けられて、夕方には予定通り首都に戻ってるかもしれないし、自分たちでまたタイヤの周りを掘って自分らに出来る最大限の力で車を出すことに成功しているかもしれない。はたまた車が一台も通らず、3人で民家やキャンプサイトを求めて数十キロくらい夜のあいだ歩き続けているかもしれない。未来がどうなっているかなんて誰にも予想出来ない。ただ言えるのは、自分はこんな状況下であっても驚くくらい死ぬことを考えていない楽観的な人間で、今夜の星は馬鹿みたいに綺麗だということだけだ。

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