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黎明期のPCゲーム開発記 (最終回)

前回の「第14回」は、初めての SFC での開発で中々作業が進まない話と、名古屋での楽しい軟禁生活のお話でした。
最終回は、この連載を書き終えるに当たり感じていること、考えていることを書き連ねたいと思います。

その後のゲーム開発

SFC 版のサークの完成のあと、私は2本のゲーム開発にメインプログラマとして携わりました。1本は「へべれけのぽぷーん (SUNSOFT)」で、もう1本は「へべれけのおいしいパズルはいりませんか? (SUNSOFT)」です。

「おいしいパズル」の方はアーケードからの移植でしたが、「へべれけのぽぷーん」の方は全くのオリジナルでした。その時の SUNSOFT から渡された A4一枚 の企画書には、禁断の「"ぷ○○よ " のようなゲーム」と・・・。また与えられた制約もほとんどあってないような状態でした。今なら「こんなのじゃ作れません!」となりそうですが、私たちは「これは、好きなように作れる!」と、まるでオリジナルゲームを作れるかのように喜んだのを覚えています。

「へべれけのぽぷーん」は SFC版サークと同じ 1993年の年末、「おいしいパズルはいりませんか?」は、翌年(1994年)の夏にリリースされました。サークに比べて開発期間が圧倒的に短くなっています。もちろん RPG と パズルゲームとの違いというのもありますが、サークの開発で培った技術と経験が役に立ったことは間違いありません。

そして、これらのゲームを最後に私はファルコン株式会社を退社することになります。それ以降、何本かのゲーム開発のサポートをしてきましたが、メインプログラマとして開発に携わったのは、この連載で紹介した3本ということになります。

ちょうどこの頃からでしょうか、ゲームプログラムも分業化が進み始めていました。友人が勤めていた会社でもそんな傾向があったようなので、そういう時代の流れがすぐそこまでやってきていたのかもしれません。ゲーム開発に関して一線を退くにはちょうどいいタイミングだったのかもしれません。

それが 24歳の夏のことでした・・・

鍵のかかった箱

私には「鍵のかかった箱」があります。この連載を始めるにあたって、開発中に様々なことを書いたノートやメモなどが多く発見されました。それらの資料は特に連載に必要はなかったのですが、当時の感触を確かめるために後日ゆっくり読んでみたいと思っています。

それと同時に発見されたものとして、こんなものがあったんです。

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この中に私が携わってきたゲームのソースコードが保管されています。はずです。しかしよりによって「MO」。これを読むための機器が手元にないのが非常に残念でなりません。これこそ、私が作業してきた結晶ですから。

書き留めることの勇気

この連載の「第1回」で、私はこの連載を始めた理由を次のように書きました。

1980年代に少年期を過ごした私が、様々な偶然が重なり合う中で、黎明期から成長期に向かう「パソコンゲーム開発」の世界に飛び込むことになった過程や体験を記録として残しておくため、ここに連載形式を取りながら書き留めていきたいと思います。
その頃の「パソコンゲーム開発」の雰囲気を少しでも感じてもらえれば幸いです。

頭の中にある記憶の断片を集めながら文章を書き連ね、紛れもなくそういう時代があったのだということを再確認したかった。そしてこの記憶を書き残すことで、もしも「そういう時代だったよね〜」「そんな事があったんですか!」と共感してもらえるのであれば、それもいいかなと考えたからです。

自分が体験したことを書き残すことはとても勇気が必要です。当たり前ですが、この記録は私の目線だけで書かれています。なので大げさかもしれませんが、「それは間違っている!」という指摘があり得ること。それに真正面から対峙することが求められます。その最たる例は、MSX版ソーサリアンの「バグ」です。PC-88 版が有名なゲームであったがために、「そんな記録を残すくらいなら、まずは完璧なゲームを作ってから書けよ」と言われる怖さがなかったわけではありません。

今年 (2021年) の 8月11日、MSX版ソーサリアンは発売から30周年を迎えました。それは私にとっては、初めて携わったゲームの発売から30年を迎えたことを意味します。これは、記憶を書き残そうとした一つの大きなきっかけでした。

書き始めて知ったことは、今でも多くの方が MSX版ソーサリアン に対して何らかの形で関わっていらっしゃること、そして何よりもこの連載を快くお読みいただいていたということです。皆さんからのコメントは、連載を続ける大きなモチベーションになりました。もしもご友人たちとの間で、「あの時代、こんなことあったよね」や「こんな開発してたらしいよ?」など、"話をする" "やりとりをする" きっかけになっていたのだとすれば、それにまさる喜びはありません。

時代の渦の忘れ物

実は、この連載を始めたのには、もう1つ理由がありました。それは、

「自分の中の MSX版ソーサリアンにピリオドを打つ」

ということ。多くの奇跡の積み重ねから MSX版ソーサリアン の開発に関わることになり、様々な偶然が重なってなんとか完成に漕ぎ着けることが出来ました。しかしそれは、私の中で「ある種の呪縛」でもあったのです。

現在であれば、ゲームをプレイした方々からのリアクションは、Twitter を代表する SNS を見れば知ることが出来ます。しかし当時は SNS はもちろん、インターネットすら普及していない時代です。ゲームを購入された方々からの感想等を聞くチャンスは皆無でした。雑誌にはゲーム画面を並べたレビュー記事が掲載され、さも「素晴らしい出来」かのように説明してくれます。そういう記事を見るたびに、「本当にそうなのか?」「最悪!と思っているのではないか?」と考えていたことを覚えています。それに加えて、シナリオコンテストや追加シナリオの未対応など・・・私が原因ではないとはいえ、ゲームを購入された方にとって多くの「不満」があったのではないかと想像していました。

この連載をすることで、当時私の頭の中に書けなかった MSX版ソーサリアンの開発に対する「ピリオド」を、改めて頭に刻み込もうとしていました。

一方で、今回までの15本の記事を書く中で、頭の中にいるもう一人の私と向き合うことが出来ました。そして、これまであえて振り返らないようにして蓋をしてきた気持ちに気づきました。

あのときの忘れ物を取りに戻りたい

今の生活に不満があるわけではありません。社会人としてスタートした時の刺激があまりにも強すぎたのでしょう。あの時ののビリビリした感じをもう一度体験したいのかもしれません。

今でも・・・

始まりには終りがある

物事には「始まり」があれば「終わり」があります。この連載も、第1回が始まった時点で「最終回」が来ることは宿命づけられています。

MSX版ソーサリアンの開発もそうです。開発はすでに30年前に終了しています。しかし、今回の連載を書く間に、これを読んで頂いている多くの方々の中で、今でも「続いている」ということを知りました。そんなゲームの開発に携われたことに改めて感謝の思い出いっぱいです。

先日、1995年に放送が始まったアニメの完結編となる映画が公開されました。規模や関係する方々の数など、比べ物にならないのは理解した上で誤解を恐れずに私なりの解釈をすると、「終わらせる」ということはとても重要なことだと思いました。

「終わらせる」こと、そして最後の「。」を書くことをもう1つの目標としてきたこの連載。今の私の力では、「。」を書くことは難しそうです。

この連載をお読みいただいた 'あなた' にお願いです。

どんな些細なことでもいいです。自分が体験してきた「出来事」を誰かに伝えてください。もしも可能であれば、それを何かに書き留めてください。

この連載の「。」は、'あなた' に委ねます・・・

最後に

もう1本だけ、ゲーム作ってみたいな・・・

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