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黎明期のPCゲーム開発記 (1) 〜はじめてのコンピュータ〜

今から考えたら、なんだか不思議な時代だったように感じる1980年代。
サブカルチャーが台頭し、世の中には言葉では形容し難い「熱量」が溢れかえっていた1980年代。
その時代に少年期を過ごした私が、様々な偶然が重なり合う中で、黎明期から成長期に向かう「パソコンゲーム開発」の世界に飛び込むことになった過程や体験を記録として残しておくため、ここに連載形式を取りながら書き留めていきたいと思います。

その頃の「パソコンゲーム開発」の雰囲気を少しでも感じてもらえれば幸いです。

コンピュータとの出会い

1980年代前半、私は小学校高学年になっていました。毎日のように遊びやドッジボールに明け暮れる、ごく普通の小学生でした。父親は中小企業のサラリーマンで、特に裕福な家庭に育ったわけでもありません。鉄道が大好きな小学生で、父親が持っていた110mm フィルムのカメラを借りて、近所にあった当時国鉄の「向日町操車場(現在の京都総合運転所)」の近くによく写真撮影に行っていました。当時の大阪〜京都間は「雷鳥」「白鳥」を筆頭に多くの特急列車や急行列車が走っていて、見ていても全然飽きることがなかったように記憶しています。

そんな私がはじめてコンピュータと対面したのは、当時大阪市内に住んでいた年長の従兄弟の家ででした。まだ一般家庭にパソコンが普及しているという状況ではなかったのですが、どうやら従兄弟はどこかでそれを買ってきたようだったのです。好奇心旺盛なことだけが取り柄の小学校高学年ですから、当然触らせてほしいとお願いし、渋々触らせてもらいました。当時家庭用に「ワープロ専用機」が普及し始めていた頃で、私の父親もそれに倣って「シャープの書院シリーズ」を所有していました。なので私自身もキーボードに触ることには抵抗はありませんでした。

キーボードを叩く、画面に文字が表示される・・・それだけ、何も起こらない。

ただそれだけの瞬間。ただ「これはとてつもないモノに違いない!」という根拠のない自信と興奮を感じたのを、今でも鮮明に覚えています。その興奮を感じた小学生が、その後従兄弟の家に通い詰めることになったことは言うまでもありません。

ちょうどその頃、京都市内の映画館では「ウォー・ゲーム」という映画がロードショーされていました。高校生が偶然「アメリカ航空宇宙防衛司令部」に侵入してしまい、核戦争直前の状態に世界を陥れてしまうという内容の映画。すでにコンピュータというものを触ってしまった私が興味を持たないはずがありません。親にお願いして、その映画に連れて行ってもらいました。映画を見終わったあと、興奮冷めやらぬ状態で意気揚々とパンフレットと下敷きを購入。ふと下敷きの裏側も見てみると、何やら英数字の羅列が・・・私は確信しました、「これはプログラムと呼ばれるものに違いない」と。でも何が何やら、さっぱり分からない。それからしばらくは、下敷きの裏に書かれた英数字の羅列との格闘の日々続くことになるのです。

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