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嫌われる勇気①/古賀史健・岸見一郎

「自由」とは他者から嫌われることである。

[レビュー]

読書に「沼る」きっかけとなった本。哲人と青年の対話形式で書かれており、兎に角読みやすい。内容は、全て自分のことを言われているようだった。ここに書かれていることの全てが省察材料となる。しかし、次々に哲人が大切なことを言うせいで、考える暇なく「なるほど」と流してしまう。そのため、何度も読まなければならないと感じる。

[アウトプット]

■ 人は常に「変わらない」という決心をしている p48~
「こう言う人になりたい」や「こんな人生を送りたい」などといった憧れを誰しもが持っている。しかし、ほとんどの人が理想を抱くだけで実際は行動できない。その理由として、「人見知りだから〜」や「家庭があるから〜」と自身の性格や現在の環境を挙げる人がほとんどである(原因論)。しかし、それをアドラーは完全に否定しており、隠れた目的を達成するために「変わらない」決心をしているだけであると言っている(目的論)。例を挙げると、「Aさんみたいに見た目がよければ好きな子に告白するのになあ」というような思考は原因論(原因:見た目が悪い、行動:告白しない)[原因→行動]。これを目的論から考えると、変わる行動(告白)が怖い自分に「保険」をかけることによって可能性の中で生きることができるからと捉えることができる(目的:振られたら恥ずかしい・「きもい!」と思われるという現実に直面したくない、行動:告白しない)[目的→行動]。つまり、変わりたくても変われないものは全て原因があるからではなく、「変わらない」ことによって目に見えない目的を達成しているのだ。すべて目的論に基づいて考え、行動することができれば人は幸せになれる。とのことである。
 ここには本当に驚かされました(笑)読んだ時「いやいや、流石にそんなことはないやろ笑」と思いました。そのような疑問を私と同じ思いを持った本著の登場人物である青年が、全て哲人にぶつけてくれます。しかし、全て「目的論」で論破されてしまいます。それはもう気持ち良いくらいに。哲人の言うことを自身に当てはめて考えてみると、全て目的論の筋が通ってしまいました。完敗です。原因なんてない、勇気がないという事実があるだけだ、と言うことを教えていただきました。ただ、この目的論を他人に強要しては行けないと感じました。トラウマによる引きこもりの人に対して「お前は原因論に基づいた考え方をしているだけだ。今の状況から変わり、親から構ってもらえなくなるのが嫌なだけだ。」などと言えばおしまいです(笑)これは極端でしたが、あくまで自分が「目的論に基づいた考え方を持つ」ことが大切であると感じました。これは後にでてくる「アドラー心理学とは他者を変える心理学ではなく、自分を変える心理学」に当てはまると思います。

■ 「劣等感」とは p72~
 人類が持つ悩みの中で最も大きなものの一つに「劣等感」がある。劣等感とは、他人と比較することによって生まれるものである。もし、世の中に自分一人しかいなければ、劣等感は持たない。そんな劣等感は、どのような意味づけを施すかによって劣等感ではなくなる。本著の例を用いると、「身長が低い」というような、一見大きな劣等性であるような事実も、「身長が低いことによって親しみを持ってもらいやすい」と言うように意味づけすることができる。つまり、「劣等感」とは「客観的な事実」ではなく「主観的な解釈」によって得るものである。
 ここが本著の中で1番心に残りました(笑)特に、哲人が語る「客観的な事実ではなく、主観的な解釈によって行動していけば悩みはなくなってくる。他人と比べる必要はない。今の自分よりも前に進もうとすることにこそ、真の価値があるのだ。」は心に刺さりました!また、他人と比べる癖が抜けてくると、周りの人々が仲間に見えてきて、世界の見え方がまったく違ったものになってくるそうです。この境地に達するにはまだまだ時間がかかりますが、すこしずつ頑張ろうと思います!

>おまけ
 「劣等感」を持つことは決して悪いことではない。むしろ良いことであると述べられている。今よりも成長したい、向上したいと思う時に、自分より優れている他者と比較して感じるものが劣等感であり、努力や成長の促進剤となる。しかし、この劣等感から「どうせ自分なんて」や「いくらがんばっても無理だ」と言うふうに諦めてしまう人もいる。これを本著では「劣等感」ではなく「劣等コンプレックス」と呼んでいる。劣等コンプレックスとは、自らの持つ劣等感を言い訳に使い始めた状態のこと。AだからBできない、というもの。いわゆる原因論てきな考え方だ。


■権力争いはするな p101~ 

 他人の言動・行動に腹が立ったときは、相手の隠し持つ「目的」を考える。(相手は何か目的があってその言動・行動をしているのだと考えること)その中でも、相手が自分を侮辱してきた時は、相手が「権力争い」を挑んできているのだと考える。権力争いとは、相手より自分が上であることを証明したいという欲求である。その権力争いに挑まれたときには、絶対に乗ってはならないと哲人は述べる。なぜなら、その争いに勝ったとしても相手から恨まれ、なにかしらの復讐を画策し、報復行為を行ってくるからである。誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはすべて「負け」ではない。いかなる場合でも、他人と競争してはいけないのだ。勝ち負けの眼鏡を外してこそ、自分を正し、自分を変えていくことができるのである。
 これは1番実践しやすいことであると思います。私もよく相手の行動・言動で腹を立ててしまいます。そんな時に、一度「相手はどんな目的があるのか、何がしたくてこのような態度をとっているのか」と考えるだけで驚くほどに冷静になれます。難しそうですが、思っているよりも相手の隠し持つ目的はわかりやすいです。また、権力争いも1日に3回くらいはしていました。そのため、権力争いになりそうなとき「あ、これ進研ゼミでやったところだ」と考えられるだけで、争いから降りることができます。この2点は本当に実践しやすく、対人関係に大きな効果があると思います。

>おまけ
対人関係の中で「自分は正しいのだ」と確信した瞬間、権力争いに足を踏み入れていると言うことである。自分が正しい、つまり相手が誤っている、だから私が勝たなければならないという思考に至るためである。主張の正しさは、勝ち負けと関係がない。正しいと思うならば、他人の意見がどうであれ、そこで完結すべきはなしである。



アウトプットが多すぎて2部構成にしました!笑
次回に続く!



まっけいゆう

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