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小説|夏日影に消ゆる君 #3
三、
家に帰ってきた詩音は二時間ほど仮眠を取って家主の家に向かった。
元々来週のどこかでと予定していた草刈りが昨日、小笠原諸島沖での台風八号の発生により急遽変更となったのだ。
「悪いねぇ、引っ越しの疲れもまだ取れてないだろうに」
家主は小さな物置小屋から草刈り鎌を二丁取り出し詩音に手渡すと、もう一度小屋に戻りガチャガチャと音を立ててまた何かを探し始めた。
「後で小さな助っ人が来てくれます」
「小さな助っ人?」
「私の孫です。小学五年生の坊主が手伝いたいと言うもので」
見れば家主の左手には先程の鎌よりも少し小さめの片手鎌を持っていた。
「今は運搬用の一輪車を取りに行ってくれています。私たちは先に向かっていましょう」
二人は狭い歩道を一列になって歩いた。家主が時折後方を振り返るのは、恐らく〝坊主〟を待っているからだろう。「とにかくやんちゃで目が離せんのですよ」と家主は歩きながら語った。
家主の家から詩音の家までは徒歩五分ほど。山の入り口は詩音の家のすぐ裏手にある。山の入り口が見えてきたところで、後ろからやんちゃ坊主の奇声が聞こえてきた。
「来た来た。あれが孫の湊です」
「こーんにーちはー!」
一輪車を押しながら緩い坂道を駆け上ってくる少年が詩音を見つけると、声変わり前の高い声が元気に挨拶をした。荷台に乗せた三人分のペットボトルがガタガタと音を立てて跳ねている。二人に追いついた湊は息を切らすこともなく詩音に改めて挨拶をし、一丁前に「祖父がお世話になっております」と口にして笑いを誘った。
除草作業をする中、初めて出来た年上の友達がよほど嬉しいのか、人懐っこい少年は手よりも口の方を動かしながら詩音にいろいろな質問をした。
「詩音くん何歳?」
「詩音くん何の仕事してるの?」
「詩音くん彼女いる?」
時折挟まれるませた質問には「おまんは好きな子は居らんがか?」と同じように返すと、耳まで真っ赤にして「いねぇよ!」と返ってきた。
「こがな質問で真っ赤になるようなおこちゃまにはまだ教えられんにゃあ」
「くそー!」
揶揄われたことを悔しがりながら八つ当たりのように草を刈っていく少年のおかげで、草刈りは存外早く終わりそうだ。
昼は三人で詩音の家に戻り出前の冷やし中華を食べた。湊は再び詩音を質問攻めにしていたが、先程のようなませた質問はせず、主に詩音の仕事のこと、東京での生活、この町でやりたいことなどを興味津々に聞いてきた。
「湊は好奇心旺盛やき、もしかしたらライターに向いちゅうかも知れんにゃあ」
「ほんと?! おれ文章書くの好きかも! 本も読んだ方がいい? おれもライターになりたい!」
「本も読んだ方がえいのはえいけんど、本に限らず見たもの聞いたことを誰かに伝える練習をしてみるがが大事やにゃあ」
「伝える練習かぁ。あ、じゃあ夏休みの自由研究のテーマが決まったら見てほしい! 毎年自由研究をコンクールに出してて、今年こそは賞を取りたいんだ」
「へぇ、湊は意外と勉強が好きながやね。えいよ、俺はいつでも家に居るき」
「やったー!」
両手を上げて喜ぶ少年に詩音は、自分が今の道に進むきっかけになった出来事を思い出していた。詩音もまた湊と同じ年くらいのときに、自由研究として提出した作品が高評価を受け、担任から物書きになるのがいいのではないかと薦められたのだった。当時のワクワクが蘇り、詩音の気合もこもった。
昼食を終えると三人は作業を再開した。といっても、午前のうちに邪魔な草はほぼ刈り終えてしまったので、あとは少し奥の道に飛び出した危険な枝葉を刈るだけであった。
「詩音くん、もう上まで行った?」
「おん、遠くの岬まで見えて綺麗じゃった」
「いいなぁ、おれはまだ子供だからダメだってじいちゃんに言われてここまでしか来たことない。岬の他には何が見えた?」
岬の他には──。
(そういえば今朝、和泉琉生ちいう男を見たにゃあ)
一瞬、彼に出会った話をしてみようかとも思ったが、もし家主が彼のことを知らなかったとしたら大事になってしまうのではないか。そう思って話すのをやめた。本当は良くないことなのだろうが、何となく話さない方がいいような気がした。それに「ここからの景色が好きなんだ」と言っていた彼の居場所がなくなってしまっては、もう二度と彼に会うことができないのではないかと思ったからだ。
「岬の他には大っきな海と空ばっかりじゃ! あの感動は言葉では伝えられんちや。湊ももう少し大人になったら自分の目で見たらえい」
「えー! ライターなんだから言葉で伝えろよー!」
「おまんは……一丁前に言うやいか」
湊の一枚上手の減らず口に返す言葉が見つからず、詩音は少年の得意げな顔を悔しそうに見やった。
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