見出し画像

Notice or awake #第5夜

初めましてのみなさまも、おなじみのあなたもこんにちは、MAKIです。

色気のあるひとも色気のある会話も大好きなのに、気づくと自分の話ばかりしてしまう自分に呆れながらも、そんなわたしを認めてくださる環境もつくれるやもしれぬ、と根拠なきポジティブさを発揮している今日この頃。

今回は番外編として、自分を愛することに向き合っていた10年前の日記を転載してみます。

#mixi

==================================  

2011.8.13

ものごとをあんまりぞんざいに扱うとバカを見るのはいつもオンナだよなぁ、とぼんやり思いながらも、 
今日、現在が確かなら万事快調よ、 
明日には全く覚えていなくたっていいの、 
そんな心意気で生きていて、 
痛みとか、苦しみとかは二の次、三の次、 
良くも悪くも瞬間、瞬間を大切にしています。 


ただ、こないだはさすがのあたしでも久々に心の痛むことをしてしまった。 
食事したり、ムードのある会話をしたりしていたひととサヨナラをした。 
数年ぶりの自責の念。 
いつもそうだ、 
あたしは想われることに慣れていない。 
避けて通ってきたんだろうか。 
好意を寄せていただいてから交際に発展した相手もいたのになぁ。 
あまのじゃくっぷりがハンパない。 
初めから本気の恋愛には発展しないと伏線張ってたのに、ガッツリ踏み込まれそうになった。フットインザドア。 
そんなひとに、 
あたしなんかに本気になったりしないでよ、と真顔で言ってしまったりする。 
自信と卑下のパラドックス。 
複雑に考えすぎなのはあたしの悪い癖で、裏の裏を読み、ひとり不安になり、押し潰される前に手放す、の繰り返し。 


しかし、手放したものへの未練みたいなものはなく、 
こういう気持ちもいずれは薄れ、 
また新しい「お気に入り」を見つけたりしちゃうんだろうな。 
寂しいけれど、諸行無常、 
そうやって毎日はあたしのところにやってくる。 


あるいは手放すことになるのが怖くてなかなか踏み出せないフィールドもあるのだけれど。 
少しだけ距離が近付いたような気がする、それだけでお釣りがくるような、あたしにとって身に余る関係。 
それが例えばそれ以上はない、というサインだったとしても、 
それだけで一生の思い出になってしまいそうな、 
そんな近くて遠い人。 
いつか小説を書く日がきたら、絶対に登場させたいひとり。 

そんなことをぼんやりとでも考えてしまう時点でかなりヤバイところまできてるのかな。 
なんてことは、まるでない。 

==================================

10年経って、
わたしという人間の成長のなさが露呈して、
未だ、愛だの恋だのにうつつを抜かしたいと思ってしまっているのです。
ともすれば愚かだとひとは言うのでしょう。
それでもひとを好きになること、好きでいることを諦められないのです。

それより大切なものはないのかと自分に問うてみたときに改めて、わたしは誰かを想い恋焦がれることで生きていることを感じられる性分なのだと痛感するのです。

自分を愛すること、すなわち生きること。
わたしがわたしでいられるのは、ココロを裸にしてくださるパートナーがいる、そのときなのです。


つづく


#自分を愛するということ
#自叙伝
#mixi日記世代

いつもお立ち寄りくださりありがとうございます!これからも、必要な方に届くように言葉を紡いでいく予定です。あなたのサポートがチカラになります。お待ちしています。