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ヴァージンを抱いたことはありますか #第5夜

初めましてのみなさまも、おなじみのあなたもこんにちは、MAKIです。

異性へのやさしさの目覚めって、
つまりは相手に触れることへの興味だと思うのですが
初めてベッドをともにする夜の所作で、
相手が“はじめて”の女の子と経験したことがあるか否かを感じ取るセンサーを第六感と呼ぶのかもしれません。

やさしさとは許すことに似ていて、
オンナのほうがきっと許すことに慣れてしまっていて。
残念ながら許すことと諦めることも紙一重。


捧げる、といういかにも崇高そうな表現が
かえってカラダの価値を下げてしまうことになんの疑念も持たずにいたわたしにもプライドはあって。

大切にされたい。
わたしだけを見つめてほしい。

けれども背中合わせで、
相手の放つ衝動的欲求が、
「誰でもいい」が、
見え隠れしてしまうのです。


とてもじゃないけど親には言えない経験を積んでオトナになってしまったなあと顧みたところで
あのころのわたしときたら、
まわりのみんなもやっている、
テレビや雑誌の世界では当たり前、
自分のなかの秘め事なんて大したことではなく、ありふれたものもののひとつだと、
身に降りかかる哀しみたちを割り切っては随分と身を削ってしまったのでしょう。

それでも、
オンナとしてのプライドを懸けたわたしたちの望みは、お相手がヴァージンの子と経験があるか。

怖い思いをさせない、
カラダを気遣う、
やさしく触れる、
丁寧にはじめる、
避妊具をつける、
嫌がることはしない、


当たり前のように見えるそれを
いついかなるときも出来るひととそうでないひとが残念ながらいて、
それって相手が初めてな場合があることをわかっているか否かだという仮説があるとして

男性が“はじめて”の場合は
「こうしたい」という幻想をぶつけるがゆえそもそも丁寧にできないことが多いし(そこがまた愛おしいのだけれど)
ましてや「誰でもいい」その場限りのそれはやさしさとは無縁で疲労感さえあって。

それを、
オトコのひとってそんなもの、と諦めて
礼を失する言動に文句のひとつも言えずに
口を紡いで諦めることを愛だと錯覚して
そうやって相手をダメにしていくのもオンナなのだろうと
自分で自分を憐れんでみたりして。


あのころよりは少し肉付きのよくなった下腹を撫でながら、もっと大事に扱わなくてごめんね、と
若かりしわたしに語りかけ眠りにつくのです。


つづく

#オンナであるということ
#自叙伝
#恋愛小説
#ヴァージンキラー
#アラフォー妊活

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