自己隔離生活4日目

昨夜の夜、すごい睡魔に襲われてから、今朝もトイレに起きてはまたウトウト、少し目が覚めてはまたウトウト、これは何か身体からのサインだなと、横になっておくことに。

軽い不正出血もあるし、疲れることしてない自覚でも、身体には何かあるらしい。自分はこう言う所に鈍感で、身体が教えてくれることがあるため、今回は従うことにした。

熱は低すぎるくらいだし、薬のおかげなのか、最近は血圧も落ち着いてきている。手術、臓器を取るってやはりそれなりに身体は大変なんだなと。自分のことではあるけれど、分からないことだらけである。

今日は甲状腺ガンが発覚した経緯を、自分の備忘録としても書いておこうと思う。

まずガンの種類は、甲状腺ガンの中でも乳頭ガン、悪性ステージ1から2。自覚症状はほぼなく、あえて言うなら疲れやすい。ただこれは他の持病の腸の影響もあるかもしれないため、一概に言えない。結果的にそれ様の症状だったのは、瞼の腫れ。3年ほど前から上瞼が両眼腫れて、目を見開くようになった。痛くも痒くもない。

見た目として気になったため眼科に3年前に行くも、埒の明かない感じの診断。一度諦め、更に1年後くらいに他の市内で有名な名医と言われる眼科へ。そこでは「加齢ですね。和田アキ子さんがなってるのと同じ。」と。彼女と私20〜30歳差があるのですが?という、また残念な結果に。また諦め、放置。

そのうち全く別件で、耳の聞こえが片耳だけ悪くなり、突発性難聴を恐れて即耳鼻科へ。初めての町医者で、おじいちゃん先生。ひとしきりの検査をしてもらい、突発性難聴ではなさそうだという事で、投薬治療となる。診察終わりの時、斜め後ろから私をふと見た先生「目、腫れてないかい?」と一言。よくぞお気付きで!と、今までの経緯を説明。甲状腺ら辺をぐいっと押され、オエッとなり、「何かある。瞼も気になるし(甲状腺の病気は目に症状が出る事がある為)、○○病院(市内の大きい病院)に知り合いがいるから、紹介状持って早目に行っといで!」と。喉に正中系嚢胞という先天的なものもある為、それではないかな?と思いつつ、数日後に受診。その先生も触診をまずして「2センチの腫瘍らしきものがあるね。エコーで見てみよう。…予約いっぱいだから二ヶ月後だけど。」と、のんびりな感じで、2ヶ月放置。いざエコーをして、石灰化となっている部分を確認、気になるから細胞診とその場で注射、一週間後に結果発表となる。

結果を聞きに行ったら、「やっぱり、甲状腺ガンね。(ここで一旦、頭真っ白。気を取り直して)でも90%治る種類の乳頭ガンと言うのだから、取れば治るからね。で、僕が元々定年まで30年いた△△病院で後輩たちが頑張ってやってるから、そこ紹介するから、手術しちゃってね。」と言うこと(先生はあっさり、そしてやっぱりね!という感じで嬉々として伝えてくる)で、後日、そこへ。そこでも予約がいっぱいと言われ、一旦は受診したものの、更にそこからまる三ヶ月放置(2ヶ月目くらいに血液検査MRI検査だけありで)、手術となる。

耳鼻科でまさかの発見から手術まで、約半年。進行は極めてゆっくり、転移もほぼないと言われる種類、おそらく瞼の腫れはガンの兆候だったのだろうと考えると、実に3年ほどをかけて、ガンは2センチほどの悪性細胞となったようである。

もちろんここまで血液検査は幾度としている。しかし、甲状腺のホルモンの数値は至って正常値、かろうじてTSHという数値が高めくらいであった為、そこからの発覚は出来なかったわけである。

また瞼の腫れも、手術をした病院の科では分からないということで、また別の甲状腺眼症を専門としている眼科を紹介され、そこで「おそらく甲状腺ガンからくる眼症であるだろう」という、少々曖昧な診断。治療は瞼の脇にステロイド注射という、躊躇する内容だったため、まずは手術で様子を見るということにして、一旦様子見に。

ここまでの流れで十分長い…

手術から自宅療養までの流れは、まだ後日、備忘録②としてでも書きたいと思う。

書くに当たっては、備忘録もあるが、同じ様な病気の方の参考になればと思っている。入院した同室の仲間で私を含め三人が甲状腺の病気、3人3様で、全く同じ人はいないのだと知った為、少しでも似たような症状があれば、どうしていくのがいいかの指針になるかな?という経験からである。


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