自己隔離生活5日目
一昨日の夜からの謎の睡魔を朝まで引きずったものの、何とか起き出せるように。昼夜逆転しなくてよかった。
今日は生協の配達の日、入退院で一時休止していた為、久しぶりの配達。しかし、隔離を始めたので、対面することができない。配達員さんにお手紙を書き、注文書と一緒に置いておいた。お手紙の内容に少々不備があり、夕方にお電話を頂いてしまう。感染していないかの確認だった。それによって対応が異なってくるとの事。最善を尽くして下さっていることが分かって、安心したのと同時に紛らわしいことを書いてしまったことを反省。仕事を増やしてしまって申し訳なかったなぁ。
配達物は生鮮が、半分届かず、現状は厳しくなってきていると感じる。ある物で事は足りるので、飽食になり過ぎず、粗食で乗り切ろうと思う。
昨日書いた備忘録に続く②、手術から自宅療養まで。(前のより長い…)
まず入院前、一人で悶々とあれこれ考えてしまって落ち着かなかった。考えても仕方ないことばかり、浮かんでは消え、念の為遺書も書いておこうか?等とまで考えた。しかしそれも、流行りものの為に早目に入院できないか?と言う先生からの連絡で、諸共崩れ、バタバタと準備を済ませ、早々に入院となる。手術の前4日間、熱発がないかの経過観察期間を設けたいと言うのが理由だった。入る前は、何だか慌ただしいし、入院期間が延びたら、支払いも増えるなぁと否定的に捉えていたが、入ったら180度変わった。大部屋を希望したため、7名ほどの仲間がおり、入れ替えはあったものの、同志がいて、先に同じ部分の手術をされた方がいたり、これからする方がいたり、自分だけではないと変な安心感に包まれ、気持ちはとても落ち着いた。手術の為の計画入院の為、至って元気、3食を美味しく完食し、動くといえば洗濯とトイレとシャワーくらい。売店へ行くのもままならなかったので、諦めて、持ち込んだ遊び道具で好きなだけのんびり、贅沢な時間を過ごす。
手術は、緊張はあったものの、どこか「先生の腕を信じて、まな板の鯉を演じよう!」と明るく捉えている部分もあり、手術室に感動したり、オペ室のメンバーの多さ、その多くの先生たちが私一人の身体に関わってくれるという凄さに感謝したり、落ちる暇は全くなかった。オペ台に寝かせられ、先生たちの絡みを笑ってみているうちに、あっという間に麻酔が効き、次の瞬間は、ICUで手術が終わったことをすごい勢いで起こされた時だった。麻酔から覚めにくいという心配は、あっさり打ち砕かれた。
傷の痛みはほぼ無く、絶対安静で態勢を一人で動かせない事、尿カテーテルがアレルギー対応の細い物でうまく機能しないことに、数時間おきに看護婦さんに助けてもらうくらいで、同じ場にいた患者さんの中では楽な方だったように思う。手術前も家族にも友人にも会えず、術後ももちろん誰にも会えない。私は苦しくなかったから良かったが、苦しんでいる他のお歳をめした方達が可哀想で、声をかけたかったけれど、私もイチ患者だよなと思い直し、ぐっと我慢。皆一人で闘って、頑張っている、不思議な空間だった。
一晩のICUお泊りが無事終わり、元の部屋に戻ると、管という管を抜いてもらえて、自由の身に。甲状腺の手術は、オペ後に体液の出方が退院の指標になるらしく、傷口のすぐ横からドレーンという管を下げ、体液が溜まっていく透明の箱のようなものをぶら下げる。ポシェットのようなバックを首から下げるだけで、普通に歩けるし、普通にご飯も食べられる。ICU出だされた朝ごはんは流石に半分も食べられなかったけれど、お昼からはまたもりもりと完食。食べるということは生きることだなと。動けるようになって、屋上に外の空気を吸いに行ったら、今年初のツバメが目の前にとまり、ひとしきり何かお喋りして、楽しそうに舞って行った。オペ成功を祝ってくれているようで、嬉しくなった。その後の流れはあっという間で、傷口に貼る医療用シートを同日にオペしたお隣のベットの方と買いに売店まで行ったり、オペ疲れかグッタリしたり、ドレーンを抜いてもらったり、回復したら同室のあちこちの方と共通項があって盛り上がったり、退院までの時間も有意義だった。体調は、オペ後の微熱が続いたのと、売店で買ったコーヒー(入院後初)で眠れなかったのと、オペ疲れの少し発熱くらいで、問題は特になく、順調に退院へ向かっていった。それも、同室の同志の方々、お掃除をしてくれる方、屋上でお話してくれた方々等々、もちろん先生方も看護婦さん方も、人に支えられていたからだなぁと。彼らの存在は本当に力になった。あの時期を一人家にいたり、一人部屋だったら、乗り越えられなかったかもしれない。大部屋の有り難さ、バンザイである。
いざ退院となり、私一人先に出ることになった。同志の方たちに見送って頂いて、これまた幸運にも自宅近所に住む友人のご主人様が車を出してくれるということで、お迎え有りで、一番恐れていた電車での移動をすることなく自宅まで送り届けて頂く。更に友人が1日2日これでなんとかなるでしょと、食料を持たせてくれて…泣くかと思うくらい感激した。二番目に恐れていた、退院後のスーパーへの買い出しも行かずにすみ、すんなりと自宅療養に入れたわけである。こんなにも恵まれた退院を経験したことがなく(いつもスパルタ)、どれだけ感謝してもしきれない。友人に伝えると「一生、毎年ママレードくれたら、それでいい。」と、安すぎる事を言って貰え、毎年心をこめて仕込もうと思った。
そんなこんなで、ふんわりとした幸福感の中、自宅療養が始まった。ここから今まで約一ヶ月、ゆるっとしたまま時が経ち、世の中はいよいよ厳しい状況に追い込まれ、もう少しこの生活でも致し方ないかと言うことで、いまだにゆるっとしている。一人になって、上げ膳据え膳もなくなって、一気にまた全て自分でこなさないとならない、元気だったのが臓器を取ったことで訳わからないくらい体力が落ちている、自覚よりも身体が動かない、色々不具合はあるけれど、今は身体の声に従って、元に戻していくしかないのだなぁと。完全には元通りにはならないのだけれど。抗がん剤治療もホルモン治療も今は無し。明らかに楽な患者だと思う。自己隔離生活が終わったら、また徐々に持久力上げて、体力をつけていこうと思う。目下の目標は、動かなくなったことで体温が下がりがちなのを36度台に上げて保つこと。
ガンになって更に自己観察するようになったな。自己愛、大切だと最近気付いた。
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