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「この町」

町を出た男が 「この町」について語っている
男の言葉を 聞くとはなしに聞く
生まれ育った 少年時代を送った町のこと 町の思い出を
机の引き出しの中の
使い古した鉛筆やらボールペンやら消しゴムやら 雑多な文具
シールやバッジ こまごまとしたマスコット類
ひとつずつ 引き出しから取り出して 机の上に並べていくように
町の思い出を 男は語っている

「この町」に中年すぎてやってきたぼくは
男の発する言葉の中に
50年以上前の
「この町」の面影を感じ その匂いまでをかぎ取る
そう思い 耳を傾けた
彼の語る思い出は
ぼくが住む「この町」の どこかに
今も埋もれているのだろうか

近くには大きな濁った川が流れ
狭い路地が入り組むところがあり
夕餉の支度の匂いが漂っていただろう
かつての「この町」

男の思い出は 彼のものであり
今 ここに暮らす僕の記憶ではない

ぼくが語るべきは
帰郷を待っていた 両親が住んでいた
「あの町」ではないのか

この町に あの町の思い出を重ねてみても
詮無いことである

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