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■「現代詩」を書いているのですよ!!

「文学」と「作家」への道(20)
「詩人の独り言」改

◇「現代詩実作講座」を受けて感じたこと

月に1度通う、カルチャーセンターで開かれる現代詩実作講座である。
2年半通っているが、「成果」は、ほぼない、と思っている。
ところが、先日は珍しいことがあった。
きのうアップした「隅田川橋梁」
珍しく…この詩は、ウケた。
先生は「100点、面白い」とおっしゃった。この日は、概ね先生は甘い評価をすることが多かったけれど、過去のぼくの詩については、「面白い」と言われたことが何度かあるが、100点といわれたのは…たぶん初めて。
ほかの作品についても、120点、140点、満点とおっしゃったものもあるにはあったが、今回は結構甘い感じの講評が多かった印象。

まあ、褒められて悪い気はしない。

毎度、受講者が書いてきた20点以上の詩が示され、先生も受講生もその場で読む。
個々の受講生が感想を聞かれることは少ないが、今回は「どの作品がよかったですか?」と聞かれ、それぞれが発言。
なんと、僕のこの詩がよかった…という人が3人もいた。過去最高である、間違いなく。ありがたや、ありがたや。

この詩は、毎度僕が隅田川テラス(隅田川べりがコンクリートで護岸したもの。左右両岸にある)をランニングする際に感じてきたことをそのまま書いたものである。過去に、このnoteにも似たような詩、あるいはほぼ同じ内容のものを書いているかもしれない(記憶がない…w)。

去年12月にアップした「キラキラと」なんかと同じく、隅田川をランニングしているときの心象風景を描いた点で同じなのだ。

さて、現代詩というのは、何か?

言葉による、文章による「前衛的」表現…が、少なくとも日本の詩壇のメーンストリームなのだろう。
僕はこれまでにも何度も書いてきたが、分かりやすい…少なくとも読み手がその言葉を額面どおり受け止められるレベルでの文章表現を最優先したい、考えである。
前衛的表現に重きを置いた詩こそが現代詩であり、そうでないものは、
その他の詩扱い…という印象だ。
具体的に僕の中では、生活詩といわれた石垣りんのような詩を目指しているのだけれど…。

この2年半、現代詩実作講座に通っているが、「前衛的であれ」というお約束ごとを、先生は言うことはない。しかし、彼らはそういうのが好きなのは明らかであり、今回の講座では、詩誌「現代詩手帖」を中心とした世界では、それはそうである…ということを遠回しに説明した感じを受けた。

今年、現代詩手帖を創刊し、思潮社社長として日本の「現代詩」詩壇を引っ張って来た小田久郎の死が明らかになったが、そのことに関連してあれこれ先生は語っていたが、なるほど…と思わされた。(詳述禁止w)

なるほど、なるほど…。僕は現代詩を読み、書くという行為を始めてようやく2年半。
その間、詩誌「現代詩手帖」への投稿をしたり、中断したり、再開したり…してきたが、まったくその世界の一員ではない、ということを思い知らされている。
ただ、自分の詩作を、自分自身が否定するのでなく、そうではないのだよ…ということを改めて感じさせられたカルチャーセンターのお話、大先生のお話であった…。

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