■現代詩の傾向と対策が見えた…けど、なにか?
「詩集」を読んで 廿楽順治(11) 不定期刊
「すみだがわ」 (思潮社 2005年10月刊)
「化車」(思潮社 2011年4月刊)
浅草の人間からは、「子供はあっちに行っちゃいけないよ」「川向う」などと言われてきたのが、とうきょうスカイツリーのある東京都墨田区。
川向うのイメージは、スカイツリーのある押上より北、隅田川に接する向島エリアが濃厚なのだが、まあ似たようなものである。アサヒビール本社があるのは、墨田区吾妻橋。テレビに映るスカイツリーの手前にある黄金色のアサヒ本社ビルが浅草だと世間の人は思い込んでいる…。
その、当該地に育った詩人・廿楽(つづら)順治が書いた詩集。地元図書館で借りて読んだ。
僕が住む町のすぐ近くでこの詩人は育ち、まさに「隅田川」を見てきた人なのだろう。しかも年齢も、僕より一つ上なので、親近感を持ち、作品にどれだけ、この土地の空気感が反映されているのか――と思って読んだ。
だが、しかし。
いずれも、10年以上前に書かれたものだが、今僕が手にする月刊詩誌「現代詩手帖」に載る新人の手による、現代詩と大差がない。
「すみだがわ」を読んだ後に、「化車(かしゃ)」を読んだが、そこに記される詩の持つトーンはほぼ同じ。詩集それぞれも同じ、2020年代の手帖誌とも同じなのである。
この詩人は、2005年に第43回現代詩手帖賞を受け、12年には詩壇の芥川賞であるH氏賞(第62回)にも、「化車」で輝いた。
下町的なユーモアと、軽みをなんとなく漂わせ、その中に現代詩(現代詩手帖的な)の訳のわからなさを混ぜ込んだ詩の数々という感じ。
現代詩手帖への投稿で結果を出すための参考にはなり、傾向と対策を考えるヒントにはなる詩集だろうが、僕の中の感性と共鳴するものは乏しい。
詩集「化車」から拾う…。
『わたしの/気よわな責任はよじれている/おぶってやると/(あらあら)/尻の方からおもしろいようにふっとんでいく』(爆母)
『こんじょうは/青くて/ふるい犬のにおいがする/みんな南方からきたのら犬なのである』(草濛)
『ごらん/わたしのしたはひさんな空襲/土地は/なんども焼いてきたえる/でなけりゃふとったいい工場はたてられない』(化車)
先日亡くなった、松鶴家千とせのあのフレーズ「わかるかなー、わかんねぇだろうな」を口にしたくなる。この詩人に限らず、多くの現代詩と現代詩人がそうなんだが。
2冊を読み切る前、「すみだがわ」を読んでいる途中に、じぶんなりの感想を込めて詩にしてみたのが、先日アップした「この町」。
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