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■書くことに「真剣」が求められた時代

現代散文自由詩人の独り言(72)

◇100年前と現代を重ねると…

「ダダ・カンスケという詩人がいた-評伝陀田勘助」吉田美和子著、共和国刊、2022年6月初版

来年、2023年は関東大震災100周年である。つい先日、NHKで伊藤野枝を描いたドラマ「風よ あらしよ」(主演・吉高由里子)を見たが、実にぬるい内容でがっかりした。甘粕事件に至るまでの時代の空気がどうにも描かれていなかったのだ。
その同時代に生きた詩人の、上記評伝を読んだ。
いくつかの新聞の書評にも取り上げられ、面白そうだと思い、いつもの図書館に予約。順番が回って来たのを一気に読んだ。

プロレタリア、アナキスト詩人だった陀田勘助が詩人として活動した期間は短く、作品もそれほど多くない。非合法活動(共産党)をしたカドで獄に送られ、1931年に29歳で死んだ――。自殺ということになっているが、死因がはっきりしないという。

この本では、彼が生きた時代を映す資料を集めに集め、そこから丁寧に彼が生きた時代と詩人について書いている。いくつかの詩も載せている。そのひとつを以下に記す。

「諦め」
人びとは諦めを目先に
ぶらさげてゐます
喪服が葬式に必要なやうに
諦めが生活の上に
安全な橋を渡します
その橋は近いうちに
くさることでせう

ほぼ100年前の詩である。
6月にも「■90年前の「現代詩」を見つけた!」として、夭折した女性詩人・左川ちかのことを書いたが、noteでは左川に言及している人はいるが、陀田勘助のことは誰も書いていないようだ。

「陀田勘助」詩集は、死後30年過ぎた1963年に発刊されたが、普通に図書館にあるようなものではなく(国会図書館にはある)、一般の目にその詩が触れることはない。

著者の吉田美和子は陀田勘助の詩を次のように評する。

「不思議な質感やリアリティがあって、朴訥としているのにほがらかで強く、モダンでもあった。嘘でないオリジナリティがあった。それは魂から直に飛び出す詩の原質のようなもの――」

本名の山本忠平として活動し、獄中から支援者に送った書簡は検閲されて墨で塗られているのだが、その見えない部分にも「隠されても埋められても、ふつふつと噴出せずにはおかない地底の溶岩のようなものを見る気がする。詩はまだそこに生きていた」と吉田は書いている。

学ぶことが多い一冊である。
ぼくを含めて、SNS上で鼻くそでもほじるように気軽に低劣な文を書くことに比べれば、100年前の人がどれだけの覚悟をして詩を、文を書いたのか…。手もとに置いておきたい本だ。


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