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思い出 2  初期衝動

チャンスの神様は前髪しかない みたいなの聞いたことある


私はここに来るまで、

大阪にいたことがあったり、地元三重県に戻ってきたり、

東京にいたことがあったりで、結構フラフラしていて、

もうほんまにしっかりしなきゃ!って感じで

2012年は地元三重県で過ごしていました。


(ちょっと大阪編、地元三重県編、東京編などが濃いのでここでは書きませんが、別の記事で自分のことは書きたいと思っています。)


29歳の年、東京から戻ってくる時に、


「30歳になっている時には、オレはこれをやっているよ、としっかり言えるような自分でいること」


これを意識して過ごしていた。

ちなみに30歳の誕生日は、2012年7月29日。



そんな中、

『7月から働ける人間に任そうと思ってる』

めっちゃやりたい、こんなチャンスあるかね


私の夢は、


幼稚園 サッカー選手

小学校 楽な生活

中学校 バンドでデビュー (ギターをはじめた)

高校  自分の音楽で感動を与える (ライブのできるお店)

音楽の専門学校 バンドでCD出す (公式なものに自分の曲を残すこと)

フリーター  結構な暗黒時代のため見失いがち



とまあ、変化はしていますが、自分がずっとやってきた音楽と、

飲食店のアルバイト生活で身につけたスキルを発揮するのに、


ライブのできるお店 をやる


ここに繋がってるやないですか。

その向こうには、

人の役に立つだとか、

人を幸せにするだとかにも繋がっていく気がするし。うん。



そんなこんなで、伊藤氏にも

「よろしくお願いします」

と、お返事をして。


2012年7月から私の亜月でのキャリアがスタートしたわけです。



ただ、

派遣会社の担当の方々には結構迷惑をかけてしまいました。

更新した予定の7月分の勤務をかなり調整してくれて、派遣先の店舗との折り合いもつけてくれました。


これはもう本当に謝るしかないです。

申し訳ございませんでした。



しかしながら、そんな無理を聞いてくれた事もあっての、

今の亜月がありますので、

これからもお店の繁栄という形の社会貢献で還元していきたいなと思っています。


これからもよろしくお願いします。



2012年7月付近の亜月の歴史でした。

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