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冬に暮らすひと
泊木 空
雪の日は好きだ。
窓から眺める庭が白い。ニワトコの枝に雪が積もり、弓なりに曲がっている。先日植えた大根の葉に雪がちょこんと乗っている。
植物たちには辛いかもしれないが、部屋で暖をとりながら過ごす私には楽しい日だ。
雪と言えば北海道をなんとなく想像するひともいるかもしれないが、私は雪の降らない北海道しか知らない。
雪の歩き方も、電気代が非常にかかるからエアコンの代わりに灯油ストーブが必須だということも、雪が積もれば二メートルは優に越すということも知っているけれど、雪の降る北海道を見たことは一度もなかった。
だから私の中の北海道はいつでも新緑に輝き、爽やかな山の風に溢れ、日光が暖かい。でもそれは北海道のイイ顔に過ぎないと、昔馴染みの女性は言う。
雪の降る北海道が、ほんものですよ。
携帯電話越しに私は尋ねてみる。--ほんものの北海道って、厳しいの?
寒すぎて、大変です。
声は温かく、しっとりと湿り気すらある。ふふ、と語尾につけた笑いも猫の毛並みのように柔らかい。
私には想像できない、彼女がほんとうに、寒さの厳しい北海道に住んでいるということが。
泊木さん、いちど来てください。寒い冬の、ほんものの北海道。また一緒に遊びましょう。待ってます。
雪は溶けるものでもある。
あれだけ窓を眺めて楽しんでいたのに、溶けてしまったらあっけない。それどころか、雪のことなんて考えたくない気持ちすらしてくるのは、なぜだろうか。
遠からずやって来る春の兆しを、雪が溶けて色が落ちたような庭に探してみたりすることもある。
枝にびっしりとついた赤い蕾。
雪なんて気づかなかったみたいに枝から垂れている鈴なりの柚子。
土から芽吹いた、野蒜や芝。
五年も経っているのに、私の耳には北海道に住んでいる女性の声が残っている。
連絡しても電話をかけても繋がらない。若い頃の顔写真だけ残して彼女はどこかへ行ったのに、いまでも雪の降る窓辺に座り、温かくて柔らかい声で囁いてくれる気がする。私はその囁きに耳を傾けることができた、焚き火に身を寄せて暖をとるように。
そうして眺める窓は、私を置いてけぼりにして春の和みに染まってゆく。
溶けきれなかった寒さが私のこころに氷柱となってひっそりと伸び続ける。
氷柱から滴る雫が私の胸に沁みるとき。
それはいつでも懐かしい雪の日なのだ。
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