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1/4「ここ、桜がキレイですよ」

ライブハウスの今を取材する連載ドキュメント「まちにうたがもどるまで。」第2弾は埼玉県のみずほ台にある小さなライブスペース「Acoustic House おとなり」の今をお届けします。取材に応えてくださったのは脱サラでこのお店を開業した深井さん。コロナで困窮したお店の状況を伺うはずが、話題はあちこちへ寄り道し、最後は深井さんの価値観や人生観を垣間見ることとなりました。全4回、どうぞご覧ください。

ーおとなりといえば、おむかいの桜が印象的で。

日陰だから、けっこう咲くのが遅いんです。
毎年、4月の上旬に咲きはじめるんですよ。

ー今年の桜は、どうでしたか?

今年は、桜はほぼ見ずに終わってしまいましたね。
3月のあたまくらいからイベントが中止になっていって、3月の後半からまったくやってないので。

深井一史(ふかいかずひと)
埼玉のライブスペース「Acoustic House おとなり」の店長。10代の頃よりバンドのボーカルギターを務め、脱サラ後はライブハウスでのブッキングや音楽スタジオなどの職を経て24歳でおとなりをオープン。開店後はレコーディング・ミックス・編曲・PAなどの経験を積み、アーティストの制作活動のサポートも行う。

ーそうでしたか。

去年までは桜の咲く時期に合わせて、2DAYSでフェスみたいなイベントやっていたんです。
「Sakura Blooming」ってタイトルのイベントで。
今年は規模を大きくして、4日間組んでいました。
それもぜんぶ中止にしましたね。

ー思い入れのあるイベントでしょうに…。

期間限定で桜のリキュールのドリンクを出したりもしていて。
桜には、並々ならぬ思いを注いでいたので、残念でしたね。

ーもともとお店の場所を選ぶ時から、桜の存在は知っていたんですか?

いえ、それがまったく。
2015年の12月に開店したんですけど、春になってから気づきました。
ご近所の方が「ここ、桜がキレイですよ」って教えてくれたんです(笑)

ーそもそも、どうしてお店を開くことになったんでしょう?
おとなりオープンまでの経緯を聞いてもいいですか?

ぼくは10代の時からバンドをやっていたんですけど、高校卒業後は地元で一般企業に就職したんです。

ーあ、最初はサラリーマンなんですね。

ええ、実は(笑)
3年半くらいそこに勤めてたんだけど、あるとき部署の異動がありまして。
そのタイミングで、地元川越のライブハウスのブッキングマネージャーに転職しました。
並行して、自分のバンドも本腰を入れて活動をはじめて。

ー音楽を仕事にする決意を、そこでするんですね。

自分がどこまでいけるのか、本気で試そうと思って。
で、ライブハウス勤めとバンドマン生活をやってみた結果、いろんなことが見えてきて。
業界全体のことだったり、地方の音楽シーンのことだったり。

ープレイヤーでもあり、スタッフでもあり。
その2つの視点から気づくことがあったと。

はい。
結局24歳の時にバンドは解散することになりました。
その直後に、独立して「おとなり」をはじめるんです。

ーもともと「いつかは自分のお店」と思っていたんですか?

ライブハウスをやるのはバンドをはじめた時から夢でした。
でも、いざお店をはじめようと考えたら、バンド向けの数百人キャパのライブハウスが多すぎることに気付いて。
インディーズのバンドとして全国ツアーなんかしていると痛感するんですけど、地方って、200人収容の箱(注:ライブハウスの俗称)にお客さん10人とか、ザラにあるんですよ。

ーガラガラのライブハウスって、知ってる人にとってはむしろデフォルトですよね(笑)

そうそう(笑)
そもそもそこに違和感を感じていたんです。
需要と供給が合っていないなって。
なので、地元に必要なのはもう少し小さいライブスペースだと思ったんです。

ーなるほど。小さいライブスペース。

自分がライブをはじめたばかりの頃って、ライブハウスに出演するハードルがめっちゃ高い印象があって。
「お客さん何人呼ばなくちゃいけない」「でも集められない」「お店の人に怒られるかなぁ」みたいな感じで。

ーいい演奏をするのとは、別のストレスがあったわけですね。

はい。だから自分がお店をやるときは、いま既にある箱とはちがう役割を果たしたいと思いました。
それで、キャパ30人くらいの物件を探したんです。

ーなぜ地元の埼玉にこだわったんですか?

24歳だったから、シンプルに東京こわいっていうのもありました(笑)
あと、失敗するのが当たり前だと思ってたんです。
もともとサラリーマンだし、ライブハウスで働いた経験も1年だったし。
だから失敗するのもコミコミで、失敗すらも楽しめるところでやりたくて。

ーそして選んだ場所が、東武東上線の「みずほ台」という街だったわけですね。
もともと音楽が根付いている街ではなく、普通の住宅街ですが、そこに不安はなかったですか?

うーん。
内容がよければ、どこでやっていても人は集まるという自信はあリました。
それになにもない場所で0からつくり上げる方が、クリエイティブじゃないですか。

ーお店はすぐに軌道に乗ったんですか?

いやぁ、最初は全然うまくいかなかったんですよ。
とんでもない仕事はじめちゃったなぁって(笑)

(つづく)

Acoustic House おとなり についてはこちら
WEBサイト
OTONARI UNPLUGGED vol.1
note

取材・編集:久田 伸


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