見出し画像

イクイノックスの写真からウマ娘をひねり出して、AIイラスト出力は家畜の交配に似ていると感じた話。

 ちょっと前に、自分が作ったり塗装したりしたプラモデルやフィギュアの写真をAIイラストジェネレーターに「食わせて」、どこまで美少女イラストを吐き出してくるのかという実験をしてみましたが、

 その時にどうしてもうまくいかなかったのが、「競走馬の写真をAIに食わせて、新たなるウマ娘を生成する」というもの。上記過去記事内にも画像を載せているのですが、改めて再掲すると、

 この「イクイノックス」の写真(昨年末、観戦に訪れた中山競馬場で私が撮影したものです)から、こんなイラストが出力されました。

 これはこれで、「馬は馬としてしっかりイラストを出してくるんだな」と感心はしたものの、どうしてもあきらめきれず…。

 この時には「Beauty Plus」というフォトレタッチアプリの中にあるAIイラスト生成機能を使ったのですが、この機能については(少なくとも無料版においては)、プロンプト(≒AIに対して指示を出す構文)を入力したり、新たに学習データを追加したりできるものではなかったので、思った通りの方向性のイラストを狙って出力する、というのはなかなか難しかったわけです。

導入ッ!Stable Diffusion

 であれば、しっかりとプロンプトを入れ込める、学習データを新たに、自分で按分を決めつつ入れ込みながら試行錯誤して出力ができれば、もしかしたらまだやれる余地があるのではないかと思い、AIイラストジェネレーターとしては非常にメジャーな「Stable Diffusion」を導入してみました。導入方法などを詳述すると別に記事ができる分量になるのと、既に詳細に解説してくれている記事も多くあるので、その中からひとつ、記事へのリンクを貼っておきます。

 で、このStable Diffusion、サクッとイラストを出してもらうためには相応以上のスペックのグラフィックボードが必要になるのですが、ここについてはこの2年間ほど熱心にやっているレースシム用のゲーミングPCに、先だって日本国内でのデリバリーが始まったばかりのGeForce RTX 4070を投入したばかりなのであっさりクリア。各種学習データを食わせたり、パラメーターの調整を加えたり、より良いプロンプトを探ってみたりなどをいろいろと行って(だいたい2日半くらいですかね)、最終的に出力したのが、こちら。


これが元の画像です。


こんなん出ましたけど。

 はい、見事にそれっぽい「ウマ娘・イクイノックスちゃん」が出力されました。本馬の父ですでにウマ娘化されているキタサンブラックと同様に和テイストの勝負服を着用、服色は馬の毛色に近い黒としつつ、ジョッキーが着用している勝負服、イクイノックスを保有するシルクレーシングは水色に赤い水玉模様(正式には水色胴・赤玉霰・水色袖・赤袖一本輪)ですが、この色の取り合わせはしっかりと着物の帯に反映されました。髪色は黒と白の2色で白色部分が大きく目立つ形になっていますが、これはイクイノックスの顔の大きな流星と、イクイノックス(春秋分点)という名前の由来が父キタサン【ブラック】と母・シャトー【ブランシュ】からきている点もイメージして、前髪に流星のデザインではなくバイカラーとしました。

AI出力は、「交配」に似ているかもしれない。

 このAIイラストを出力するにあたっての一番大きなポイントは、やはりなんといっても狙った絵が出てきてくれるような「学習素材」を用意して、AIに「覚えさせる」ということでした。具体的には「イクイノックス実馬の写真とシルクレーシングの勝負服を着用したジョッキーの写真」と「ウマ娘、特にイクイノックスの父キタサンブラックの画像」の2つですが、前者は前述の通り自前で競馬場で撮影したものが数十点あるのでそれらを使用、後者については【私的利用・研究目的】を免罪符にゲーム内画像のキャプチャーを使わせてもらっています。後者の素材については、改めて【私的利用】と断りを入れている通り、AIに覚えさせることの是非についてはかなりのグレーゾーンであることは自分自身も承知していますし、これを読んでいる方にもご承知おき頂きたいところであります。

 さて、この「親」ともいうべき学習素材を用意してきて、掛け合わせの手順を踏みつつ「子」であるイラストの出力を待つという工程ですが、どことなくサラブレッド、あるいはサラブレッドも含みつつそのほか経済目的で人為的に生産・生育される動物である「家畜」の交配の過程にも似ているように思います。

 例えば、サラブレッドの交配においては父となる馬、母となる馬がどういった馬の血を引いているか、その血はどんな能力を持った子供が生まれやすいのか、父・母が競走馬として走っていた時の特徴はどのようなものだったか、その特徴がどのように遺伝するのか、遺伝に当たり先祖の血はどういった影響を及ぼしそうなのかを考えて交配相手を決定、さしずめ競走馬の血統表は「設計コンセプトノート」ともいえるわけですが、この工程はAIにおけるDNAともいうべき学習素材の準備と掛け合わせのレシピを考え、実際にかけ合わせて出力結果を見守る過程ともよく似ているように見えます。遺伝的アルゴリズムとは実に上手いことを言ったものだと改めて思います。そして、競走馬もAIイラストも、必ずしも狙った計画通りにモノが出るとは限らず、予測した成果に対し上振れも下振れも無限にあるという点もよく似ていると思います。

 AIとサラブレッドの生産との違いとしては、サラブレッドの生産においては交配元の遺伝子を人為的に操作することは許されていない点で、この部分についてAIにおいては学習素材の反映度合い、プロンプトの反映度合い、これら素材郡に対してどの程度AIに解釈の余地を持たせるかなどを人為的にコントロールできる点にあるといえます。もちろん、ノウハウさえあればAIのアルゴリズムそのものを調整・改善することも可能でしょう。

 このコントロールは、「命あるもの」に対して行うことは倫理的な面でもタブー視されることがほとんどですが、ことAIに対してはそういった概念がほぼ存在していないといってもよく(なので、イラストとは別の分野にAI生成の概念を持ち込んで、考え得る限りの悪意を食わせて…ということも、倫理観をさておけば、できる話ではあるのかな、と。問題になっているディープフェイクのような)、そういったところがもしかしたらイラストに限らないAI生成に違和感を抱く人がいる理由の一つになっているかもしれませんね。そう考えると、AI生成は「家畜の交配」以上に「錬金術」に近いのかもしれません。今回、「ウマ娘・イクイノックスちゃん」を出力するまでの過程で、『鋼の錬金術師』で、エドワードとアルフォンスの兄弟が錬成した「母親的な何か」に近いものを何度も出力しました。私がこの作品世界観の住人だったら、いったい何をどれほど「持って行かれて」しまったのでしょうか…。

AI生成イラストは「創作物」なのか?

 さて、このような形で、学習・掛け合わせによって生み出されるAIイラストが果たして創作物であると言えるのか。これは、AI生成黎明期である現在においては非常に活発に議論される話題ではないかと思います。

 実際自分でAIイラスト生成をやってみて、「競走馬の写真からウマ娘をひねり出す」ことに成功した今、私が考えるのは「イラストというものに対しての立ち位置の違い」で、結論はいくらでも変わるということと、立ち位置が違う以上、その隔たりは平行線のままである、ということです。

 ごくごく個人的には、今回の試みを経て自分なりに考えたAIイラストとは、「出力結果」以上でも以下でもない、ということです。

 もしAIイラスト生成に「創造(クリエイティブ)」の部分があるとしたら、最終的に成果物としてアウトプットされるイラストではなく、そのアウトプットを得るための学習データ読み込ませ、パラメーターの調整、さらに言えばアルゴリズムそのものに手を加える部分にこそクリエイティビティが発揮されるのであって、だからこそ、最終的なアウトプットであるイラストはあくまでも「出力結果」にすぎない、という考えです。

 一方で、技術を習得して作品を生み出す、従来のイラストレーターの方々にとってみれば、最終的なアウトプットであるイラストは、そこに至る各種技術・思索思考の痕跡の集合体であり、それゆえにイラストはそれ自体が「創造物」であるという考え方に至るのではないかと思います。そして、その考え方はとても妥当だと思いますし、客観的な説得力もあると思います。

いまは大きな「転換点」なのかもしれない

 こうした立ち位置の違いにより、おそらく今後ともAI生成物の定義に関する議論は平行線のまま収束することはないと思いますが、それはそれとして、手ずからによる創造物とAIによって生成された出力結果は、なかば無理矢理同一平面上に存在し続けることになるのはほぼ疑いようのない事実なわけで、その点において様々な議論と軋轢が噴出する現在は「AI前後」の一つの転換点であるということは言えそうです。

 また、現段階では前述のように倫理面含めまだまだ多くの問題を抱えているAI生成界隈ではあるものの(学習データにおいての著作権の問題など。ここは、農作物の品種改良でいうところの「種苗法」のような法律の整備が遅かれ早かれなされるのではないかと…)、技術として「これがない世界」に戻ることはあり得ないので(例えば新型コロナウィルスもしかりスマホもしかり)様々な場面で見解の平行線と軋轢を抱えたまま時代は進んでいくことでしょう。そしていずれ、立ち位置の違いによる違和感は世代を経て薄れても行くと思います。直近の文化史でいえば、IT革命~デジタルネイティブ世代の登場などが分かりやすい例といえるかと思います。

 今後、この状況がどういった方向に進んでいくのかはわからないものの、のちに歴史として振り返った時にこのAI一般化の黎明期は特異点として記憶されるのはほぼ間違いなさそうで、そのただ中を生きているということはシンプルに面白いなとは思いました。

サポートいただけたら励みになります。具体的には心身養生の足しにしたいと思います。