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『愛のコリーダ』に見る、性と愛と男と女

「愛のコリーダ」2000年版、みました!
観たと言っても、スマホを傾けながら観ました。笑
ちょっと直視出来なくて…。
でも、気がついたら二人の世界に引き込まれていて、終始度肝抜かれる映画でした。笑

画面に映る定は、世間で言うところの美人ではない、と思います。でも、吉と出会って段々と美しく妖艶になっていくのがすごいです。体がすごく綺麗で、細くて、なんで女の人ってこんなに綺麗なんだろう、と思いました。
2人が映る時は性行為の場面の方が多い(たぶん)ので、始めは「いや~、ド肝抜かれるなァ、なんだこれはァ」くらいにしか思えなかったのですが、見ているうちに、何もおかしいことはしていないように思えてくるのが不思議です。時代背景と、繰り返される性描写のおかげでしょうか。ただただ愛し合っているだけ、それの何がおかしいんだ、みんな変態だと言っている?そのみんなって誰よ!と、定の気持ちも分かるようになりました。

すごく正論ですよね、「みんなって誰よ」って。
絶対に、みんなじゃないはずだし、その「みんな」に当てはまる人は自分にとってどうでもいい人であることが多いから。
「みんなって誰よ!」
今度機会があれば言ってみよう。

正直、1番ド肝抜かれたのはゆでたまごのシーンです。それも、入れるシーンではなく、出すシーンです。卵を産み落とすニワトリにしか見えませんでした。笑

そして、藤竜也さん演じる吉ですが、あの低音ボイス、定がやられてしまうのも分かります。
あの声に加え、何事にも動じない感じが、定をのめり込ませたのかな、と思いました。
経血は舐めるわ、しいたけは濡らすわ、ゆでたまご入れるわ、叩かれるわ、締められるわ、色々してましたけど、どの場面でも顔色ひとつ変えず、(苦しそうな顔はしてましたが)むしろ余裕があって、ドンと構えているように見えました。ああいう人だからこそ、どこまで締めたら狼狽えるのか、見てみたいんですよね、きっと。違うかな。
(「危険な情事」では、女性がどんどんエスカレートしていくにつれ、男性もオドオドしてましたよね。それが普通ですが。)
刃物を見ても全く狼狽えない男だからこそ、定も全身でのめり込み、最後の最後まで愛し続けられたんだと思います。何もかも受け入れてくれる包容力みたいなものを吉に感じたのかもしれません。

さて、定のした行動が愛ゆえなのか、私には分かりません。愛していたらその人の性器を切り取って持ち歩きたくなるでしょうか?それは愛ではなくただの独占欲ではないでしょうか?いや、もっと突発的な感情のはずだから、言葉では言い表せないかもしれません。でも、定を見ていると、愛ゆえの行動に見えてくるのです。そして、切り取られた吉も、それを許しているように見えるのです。「物騒だなァ」なんて言いながら。

愛とは何なのか。
男と女が出会ったとき、ど̀こ̀ま̀で̀い̀け̀る̀の̀か̀。
そんなことを考えさせられました。
定と吉は、そ̀こ̀まで行ってしまった。
ただそれだけなのかもしれません。

40代くらいになって、色々な経験をして、また見てみたいなと思いました。その時の自分に託します。笑

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