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学校に馴染めなかった私が、ダンスに救われた話。

ダンスが好きだ。
誰がなんと言おうと、ダンスが好きだ。

何が好きって、人との距離が一気に縮まるところが好きだ。
越えられないように見えた壁も、ダンスがあれば、一瞬で越えられる。
年齢も、性別も、職種も、顔も、体型も、スクールカーストも、コンプレックスも、一瞬でぶち壊すのがダンスだ。(と信じてる)

小学生の頃から私は、全力でやることに抵抗があった。正確に言うと、徐々に抵抗を持った。
過去の海に自分から入って溺れたくはないけれど、誰かが読んでくれると信じて入ってみます。


理科の授業で朝顔のスケッチをした。私は私なりの、朝顔を描いた。するとクラスの男子が言った。

「うわ、本気出してる」

確かに私の絵のタッチは、他の子と違っていた。鉛筆を斜めにして色を塗る子なんて居なかったし、ハッキリした線で描いてる子の絵の方が可愛かった。私の絵は可愛くなかった。

あの頃の私に言ってあげたい。
「何も問題じゃないよ。ただ上手いだけ。気にしなくていいからね。好きでもない言葉を身につけなくていいのよ。着るものを選ぶように、嫌いな言葉は身につけなくていいの。」

小学生の私はそこまで強くなかった。
何かが下手なことで目立つのは怖かったし、何かが上手いことで目立つのも、その頃から抵抗を持った。

みんなと同じくらい、が1番なんじゃないか。

そんなふうに思うようになった。

だって、国語のテストでクラスで1人だけ100点をとったら「なんで100点取れるんだよ」って非難されるし。学芸会の感想で「1日1日を大切にして生きたいと思いました」って書いたら先生に笑われるし。
私だって普通になりたかった。

中学に進学しても、その風潮は変わらなかった。

尾瀬に行った感想を作文に書いたら友達に引かれた。変な空気になった。
私が何かを全力で表現したら、周りを困らせてしまうことが多かった。

部活では全力でやって周りのためになってたと思う。上手かったら喜んでもらえたから、楽しかった。

でも、なんだか周りと上手くいかなくなった。

私は視力が低くなってきて、友達との会話がチグハグになってきた。暗くなったコートではボールが見えなかった。黒板の字も見えなかった。でもメガネをかけなかった。どうしても抵抗があった。

きっとあの時、1番ちゃんと見なきゃいけなかったのは自分自身。私は顔も体型も、見ないうちに変わっていってたと思う。見る、見ないを決めることで、見えないふりを止めることが出来る。

みなさん、もし見えなかったらメガネでもコンタクトでもいいから、矯正しましょう笑
見ることは生きること。ちゃんと見てください。

それから私は身長が伸びなかった。みんながぐんぐん成長するなか、寝ても覚めても、私の身長は伸びなかった。学校という場所に閉じ込められた中学生にとって、身長の変化は分かりやすい会話の糸口なのです。残酷なくらいに。

そんなこんなで上手くいってなかった中2のとき、私を救ってくれたのがダンスだった。

私はハロプロにハマっていて、あぁ!のFIRST KISSの振りを自分なりにコピーしていた。(他にもいろいろ。)
そのイントロのダンスを、友達に教えたら、瞬く間に人気者になった。(自分で言うな)
私の周りに人が集まってくるようになった。
私のダンスを見るために、だ。

あぁ!のFIRST KISS、見ていただければわかると思うが、流れるところ、止まるところ、腰を使うところ、ウェーブするところがあって、なかなかみんなには難しいらしかった。私もダンスなんてやった事ないけれど、なぜか褒められた。「あさこしか出来ないよ」と言って貰えた。

めちゃくちゃ嬉しかった。

優越感も勿論あった。みんな出来なくて私だけ出来ることなんて、ないと思ってたから。(もちろん学年の中で、だ。)でもそれ以上に、それまで灰色だった日常がバラ色になったのが嬉しかった。あんなに行きたくなかった学校が、行きたい場所になった。自分を好きになれた。

それまでのコミュニケーションは言葉だけだったとしたら、一気にそれを超えて、身体でのコミュニケーションに再構築された感じだった。
私は大きい声を出せなくて、試合の審判や、発表や、休み時間のおしゃべりが苦手だった。伝えたい事があっても、諦めることが多かった。このうるささだと、この距離だと、声が届かないと分かったから。大きい声を出せることが、学校では大事な要素らしかったから、私はその点で劣等生だった。たくさんからかわれたし、非難された。大きい声が出せる人には、大きい声が出せない人の気持ちなんて分かるわけない。出せるのが当たり前だから。それは大人になっても同じですけどね。

でもダンスは、声を出さなくても出来たから、私にとっての武器になった。

私が大きい声を出せる人だったら、言語表現が得意なら、ここまでダンスを大事にしてないと思います。声を出せなくても、言葉で伝えられなくても、私にはダンスがある。今ではそう思えるから、大きい声を出せない自分も愛せています。
大きい声を出せる人に限って、踊れない人が多いですから。背が低くたって、全く関係ありませんから。スクールカーストの上位にいたって、踊れない人は踊れませんから。

なにより、全力で表現しても引かれない、むしろ盛り上がってくれるのが嬉しかった。

みんなのおかげでダンスに自信をもてた私は、中3のダンス発表会でセンターを務めさせてもらい、そこでも幸せな思いをさせて貰えた。自分の立ち振る舞いでみんなが盛り上がってくれるなんて信じられなかった。

高校生になっても、体育祭、文化祭、ダンス発表会で「ダンスが上手い人」として認めて貰えた。


だいぶ長くなりました。

続く。



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