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まちを楽しむということ

YouTubeの方では「まちなか農園 -365日-」9本目となる動画をアップしております。
今回は台風と降り続いた雨による影響などをゆっくりじっくり伺いました。

その中で神奈川県のかんがい(畑や田んぼに水を引くこと)事業についてのお話がありましたので、自分なりに地図などを調べてちょこっと動画に差し込みました。
こういった、歴史と土地が結びついて現在のこの場所がある、という当たり前だけど忘れがちなことを教えていただくたびに、都市農家さんに話を聞くというこの活動は最高だなあと思います。

思えばまちなか農園の奥様Kさんと初めてお話しをした時。(大緊張しながら取材のお願いをしたときですね)
私は数年前に引っ越してきて初めてこの神奈川県大和市に来たので、地域のことをよく知らないという話をすると、Kさんは「この通りは江戸時代に大山詣でをする人が通った『大山通り』で、すごく賑わっていたそうだよ」と、畑の前の道を指して教えれくれました。

パッと見何気なさすぎる道です

そのお話を伺ってからインタビューまでの2ヶ月間(繁忙期が終わってからならOKとのことで、期間が開きました)、農業に関する本もいくつか読みましたが、それ以外に市の歴史や大山道に関しても少し調べました。

『大山道』は実際には『矢倉沢往還』という名称で、赤坂見附から足柄峠を経て沼津まで続いている道です。
江戸時代中期に大山詣がブームになった時、宿駅などが整備されていた矢倉沢往還が江戸からの参詣道として盛んに利用されたことから『大山道』と呼ばれるようになったそうです。
ちなみにたくさんある大山道の中でも『大山街道』を名乗れるのはその代表格である矢倉沢往還だけなんだとか。

私の住む大和市地域には『下鶴間宿』が置かれ、大山街道と八王子街道が交差する交通の要所であったようです。
数件の旅籠を中心に、小間物屋・飯屋・染物屋などで賑わっていたとか。
とは言っても江戸時代後期の画家・渡辺崋山には「ものさみしい」と書かれてしまっていますが。

大山阿夫利神社の分霊社があります
下鶴間宿の面影を伝えています

このくらいの「歴史のある道」はそう珍しいものではないかと思います。
もっと当時の面影を残した街や建物がある場所の方がわざわざ「観光」するには良いですよね。
でも住んでいる人にとっては十分生活を楽しくさせてくれる歴史です。
なぜこんなに道が狭いのか、なぜこんなにたくさん小さな鳥居があるのか、なぜモザイク状に畑がたくさん残っているのか。
歴史や都市の発展を知ると、そういったことに合点がいって、だんだん愛着が湧いてきます。暮らしが豊かになるってそういうことかもしれません。
どんな場所でも、まちを知れば「まちを楽しむ」ができる。
良い発見でした。

と思っていたところに、大和市の街づくり賞というのが目に入りました。
今年のテーマが「歩くのが楽しいマチミチ」でぴったりだなということで、大山道の資料を作って応募しました。

ひとり様子のおかしい22番です。
これは大和市外の方でも投票できるものなのでしょうか。
もしよろしければ投票お願いいたします。
10月15日までです。

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まちなか農園 バックヤード|伊東菜々子|
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