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ネットでの活動について、考えてみた

こんにちは。

かつて「パソコン通信」があった頃から、ネットでいろいろと活動をしてきました。近々年齢的に大きな節目を迎えることとも関係がある気がしますが、一度考えてみようと、このタイトルを入力してみました。ざっと振り返ってみたり、今後の展望について書いてみようと思います。

前史としてのパソコン通信時代(ニフティサーブ)のことは、今日は割愛します。インターネットとして、多くの人たちが参入したのは、Windows95が発売されて以降のことだろうと思いますが、もう1つの契機はSNS、とりわけTwitterの普及だろうと思っています。東日本大震災の前後に、Twitterとスマホ(=iPhone)が一気に浸透しました。私がTwitterを始めたのは、2009年の11月でした。これを機として、ネット=コミュニケーション・ツールという印象が強まったと思われます。

ネットを介したコミュニケーションという点では、私には二つの側面があったと振り返りたいと思います。一つは精神疾患の「当事者」として。もっとも、この当事者という言葉が普及するのは震災後しばらくを経た後であったと思います。もう一つには、「遠距離恋愛」のための連絡手段としてです。今回は、そのうちの当事者としてのコミュニケーションとその変質について考えようと思います。

「当事者」というのは、私の場合は当初うつ病の罹患者として振る舞っていたということです。その後だいぶ経ってから双極性障害と診断されるに至りますが、2000年に書かれた診断書では、うつ状態とされていたと記憶しています。

この頃はまだ自立支援医療制度もなく、精神科ないし心療内科、メンタルクリニックへ通うことには、相当の抵抗がありました。それを考慮してなのか、「うつは心の風邪」という官民挙げての「キャンペーン」が展開されてもいたのです。その是非については、機会を改めて書くこともあろうかと思います。とにかく、今ほど環境が整っていなかった。その情報と、人とにアクセスするために、私はネットを活用していたと総括できると思います。

そして、ネットはまさに「大海」でした。「当事者」は、ネットの海には多く生息していました。私が試みていたのは、自分のことを理解してもらうことと、そういった他の当事者の方々と連携ないし連帯することでした。オンラインでの当事者会(のようなもの)を活動の中心に据えていたこともありました。それは年単位で継続していました。

しかしここでは、その活動について述べようとは思っていません。今回書きたいのは、むしろ活動の重心がシフトしているということです。今となっては、私の活動の主軸は、オンラインでの読書会を主催することと、もう一つは創作の成果を発表することとなりました。それは、コロナ禍(恐ろしいことに、それがあったということさえ、忘れ去られようとしているのではとの予感めいたものがあるのですが)を契機としているとまとめてもいいと思います。

より正確を期すれば、私がオンラインでの読書会をし始めたのは、コロナ禍よりはかなり前からのことなのですが、ZoomやDiscord、clubhouse等のツールを頻用し、それが定着したのは、やはりコロナ禍の頃でした。手帳に記録している分だけでも、通算にして350回になろうとしている回数を重ねてきています。

そろそろまとめようと思います。今月に入って、私はTwitterのアカウントを別立てで運用し始めました。それと併せて、noteのアカウントももう一つ作りました(このアカウントです)。そうしたこともきっかけとなったと思いますが、私はネットでの活動の主軸を、読書と読書会、及び創作物の発表媒体とするようにして、精神疾患の当事者としての「出店」規模を縮小していこうと考えるに至っています。これは、病状がよくなったからということではなくて、あれもこれもではなく、看板を少し小さくするということとなります。それを抑圧したり、がまんしたりするのではありません。自分の属性ではあるものの、優先して主張すべきことではないなということを考えているのです。

これに伴って、SNSの選択も変化すると思います。従来のTwitterアカウント @Showji_S は残しつつ、別途取得した @machinaka_book へ比重を移していこうと考えています。これと並行して、TwitterからThreads 重視へとシフトしていくものと思っています。今後とも変わらぬご支援・ご指導を賜ることができますようお願い申し上げます。最後までお読みくださいまして、深謝申し上げます。ありがとうございました。



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