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流政之と讃岐民具連~デザインとものづくり〜

●アート県クロニクル第4回
開催日/2018年8月24日(金)19:00〜(18:30 開場)
ゲスト/永見宏介さん(株式会社桜製作所 代表取締役社長)
聞き手/中條亜希子さん(高松市歴史資料館学芸員)

建築から始まった香川のモダニズムの潮流は、讃岐のものづくりにも影響を与えました。その功労者が、彫刻家・流政之さん。地元の伝統工芸の職人たちと「讃岐民具連」を結成。国内外の幅広い交友関係を生かし、香川の民芸を発展させた名プロデューサーでもありました。
今回は、桜製作所代表取締役の永見宏介さんをゲストにお招きし、一昨年、「心を豊かにするデザイン~讃岐民具連とその時代」を企画した高松市歴史資料館学芸員の中條亜希子さんを聞き手に、永見さんが流スタジオに勤めていたころのお話など、7月に帰らぬ人となった流さんを偲びつつ、流政之と讃岐民具連の時代を深堀しました。

●開催レポート

第4回は、桜製作所の永見宏介社長をゲストにお招きし「流政之と讃岐民具連~デザインとものづくり~」と題してお話を伺いました。
まずは聞き手の中條が、基本情報「讃岐民具連」の時代のご説明。新しい技術を学ぶ事に積極的だった桜製作所の創業者高松・永見両氏への応援を惜しまなかった金子知事。県庁舎ほか多くの公共施設の家具製作を桜製作所が手掛けたこともありその実力も認められていきました。

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そんな折、流政之氏と金子知事が意気投合し、桜製作所や職人らを交えて新しいデザインを生み出すために結成したのが「讃岐民具連」(1962年)。そこから生まれた新しいデザインが今も県内に残っていることを画像交えて紹介しました。

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さてここから永見社長の本編に突入。
「讃岐民具連」をきっかけとして深い信頼関係にあった永見眞一前会長と流氏を肌で感じながらそだった永見社長。心に残る思い出は、東京小田急ハルクの「ジョージナカシマ展」の際、中華料理店で父眞一氏、ジョージ氏、流氏らと会食したことでした。当時大学生だった宏介青年はマナーが悪いと流氏に雷を落とされたそうです。大学卒業後、そんな苦い思いが残る流氏の元で働くことになり、以来4年間のスタジオでの経験は驚きと戸惑いの連続だったとか。

最初の仕事現場は信楽の山奥にある某宗教施設で、その建築(ミノルヤマサキ)や彫刻(流政之)の規模の大きさに度肝を抜かれました。その後新人にも関わらず、流作品を撮影していたカメラマン倉良隆英氏のアシスタント、KSBの番組「神々の放浪 流政之 彫刻の衝撃」の制作(ギャラクシー賞を受賞)に参加、その他数々の大きな仕事を任されました。普通に考えると新人にできるわけも無い仕事を、どうして宏介青年にやらせたのか。そこには人を見抜く洞察力、人を育てる懐の深さがあったからに違いありません。


また、流氏の仕事やエピソードをお聞きすると、「民具連」はじめとする当時おこったムーブメントが現在では商品開発やメディア戦略にあたることに気が付きます。あらためて流政之という芸術家が香川に残してくれたものの大きさを知り、惜しくも7月にお亡くなりになった流氏を偲ぶにふさわしい会となりました。

民具連あつまり

最後は中條から質問。「桜製作所の今後は?」「これからは職人に代わってAIがものづくりを担う時代がやってくるね」「えー、どう言う事ですか?」。永見社長自身も金子時代・流氏の血を受け継いでスケールの違う物事を考えていらっしゃるように推察されました。アート県クロニクルは過去のことではない、こうしてずっと続いているのですね。(中條 亜希子)

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