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アート県の底力

●アート県クロニクル第1回
開催日/2018年5月12日(土)19:00〜(18:30 開場)
ゲスト/明石安哲さん( エッセイスト、四国新聞シニア編集室)

なぜ「香川でアート」なのか。昨年、四国新聞で連載された「うどん県クロニクル」の執筆者、明石安哲 さんに、イントロダクションとして、本トークサロンの全体像を紐解いていただきました。

1958(昭和33)年。香川県庁舎が完成した当時、金子知事51歳、丹下健三45歳。のちに香川のものづくりを代表する山本忠司、永見眞一、流政之らはみな30代。イサム・ノグチの片腕となる和泉正敏はわずか20歳だった。無名の香川県人たちは、なぜ小さな地方都市から“型破り”を仕掛けたのか。今につながるこれらの足跡をたどりながら、そこに込められたメッセージを探ります。

●開催レポート

そもそも、香川はなぜ「アート県」なのか。けっして、うどん県のついでに思いついたダジャレじゃありません(笑)。では、なぜ? 記念すべき第1回は、昨年、四国新聞で連載された「うどん県クロニクル」の執筆者、明石安哲さんをお招きし、イントロダクションとして、その全貌をかけあしでおさらいました。

戦争で焼け野原になった香川の新たな復活のシンボルとして、昭和33(1958)年、香川県庁舎が完成しました。設計は建築家・丹下健三、発注者は当時の香川県知事・金子正則、その良きアドバイザーが芸術家の猪熊弦一郎。この3人を中心に、イサム・ノグチ、ジョージ・ナカシマ、流政之など、そうそうたるアーティストが香川県を訪れ、「モダニズム」という新風を讃岐の地に吹き込みました。とまあ、ここまではどこかで聞いたことのある人も多いと思います。では、なぜそんなことがある香川で成し得たのか。そこにこそ、香川のアート県としての底力が眠っていると明石さんは言います。

例えば、金子元知事は、香川県庁舎以前の昭和29(1954)年、約3カ月かけて、北南米を視察し、モダニズムの最先端に触れながら民主主義のまちづくりを学びました。現地でグロピウスやコルビュジエといった建築家にも会い、それらの経験がその後の活躍に生かされたのは言うまでもありません。

また、戦後の公立美術館1号は香川県だって知っていますか。かつて栗林公園内にあった高松市美術館は昭和24(1949)年に開館。戦後間もなく、美術館設立の声が上がり、公営住宅もままならない頃に、市民の寄付によって資金不足をまかない、実現させたと言います。そこでは美術研究所が設けられ、無料で市民のための美術教室が開かれました。

「二度と焼け野原をつくらないために何が必要か。讃岐の人たちは美術館という選択をしたんやね」と明石さん。かつて猪熊さんも「美術館は心の病院」と書き残しました。ほんとうの豊かさとは何か。暮らしの中で「美」を愉しめる豊かな心を育むことが、土地の繁栄につながる。そんな想いの上に今の姿があることを、私たちはもっと誇りにしていいのかもしれませんね。(小西)

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