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頭の中は、英語?日本語?

このたび、私たちのベーカリーのパンチームに、真面目で前向きなアメリカ人の好青年に引き続き、アメリカ在住18年のベトナム人男性が加わりました。この人がまた「ハチ!」と呼びたくなるくらい、忠実で素直。奥さんもベトナム人、ということもあるのかもしれませんが、国を離れて18年、今では家族全員アメリカにいるにもかかわらず、ベトナムの今にも昔にも関心を持ち続ける、母国愛が強い人。トレーニング中に見えてくる、彼の仕事の仕方、そこから勝手に想像する彼の脳の働き方、それにプラスして、ベトナムやら日本やらについての、彼との雑談。それらをふまえ、これは聞いてみよう、と思った質問がひとつ。

「数字を数えるとき、頭の中は英語?それともベトナム語?」

彼の答えは「ベトナム語」。私の反応は「そうそうそう!そうだよねー!」

というのも、私にとって、この数字問題は、ときに、とても厄介なのです。まず大前提として、私は数字が得意ではありません。算数は小学校6年生の時の、食塩水の濃度の計算で挫折したと認識しています。勉強に関しては、そこそこ優秀だった私のつまづきに、父も母も家で一生懸命教えてくれったけなぁ。それでも、正直なところ、よく理解できなかった。なんでだろう?あ、でも、製菓や料理に必要なレシピの数字の計算、グラムからパウンドのような単位の変換、テーブルスプーン(大匙)、ティースプーン(小匙)の計算などは、問題なくできますよ。とはいえ、数字が苦手な自覚は重々ありますので、念には念を入れて確かめますが。そんな感じで、ただでさえ苦手な数字なので、私の頭の中で数字は、当然のことながら、いつだって日本語です。新人さんのトレーニング中は、レシピの数字を示すときの英語はいつも気が散るところです。そして、もっと困るのは、電話番号、郵便番号、暗唱番号などの、日常生活に登場する数字たち。日本でいうマイナンバーにあたるソーシャルセキュリティー番号なんて、かろうじて最後の4桁を覚えているくらい。実際に困ったときの話をいくつか紹介しましょう。

ベイエリアからサクラメントへ引っ越してきて、間もないころのことでした。私は人生初の夜勤をしていて、仕事が終わるのは午前11時前。疲れた頭と体で帰宅途中に、ドラッグストアへ立ち寄ったときのことでした。そのドラッグストアは、当時、うちの旦那さんが働いていたチェーン店でしたので、奥さんの私も従業員割引が利用できます。なんとなくボーっとする頭でレジで支払いを済ませようと思ったら、従業員割引が適用されることの確認のために「郵便番号を入力してください」の画面が。こんなとき、私の頭を混乱させる最初の原因は、英語で聞かれるので、頭が英語で答えようとするということです。でも、私の頭の中の数字は日本語なのです。落ち着いて、質問をいったん日本語にしてから考えれば、日本語の数字を探せるのかもしれませんが、なぜかそれが難しい。いつも使っている暗唱番号ですら、私の頭の中で迷子になってしまうのです。特にこの時は、聞かれるとは思っていなかった郵便番号。しかも引っ越したばかりで、なじみがうすい。焦りまくる私。そんな私に、疑いの目を向ける店員さん。

店員さん:「あなた、〇〇で働いてるの?」

私:「いや、私じゃなくて、旦那さんが働いています」

店員さん:「どこのお店?」

私:「あー、お店の場所の名前は…思い出せない。引っ越してきたばっかりなんです。前のお店は、ベイエリアの✕✕✕店で…」

運悪く、少々いじわるな店員さんにあたってしまったこともありましたが、焦りましたね。「私は夜中の2時から働いていたのー!」「引っ越したばかりで、郵便番号なんて覚えてるわけないじゃーん!」と、頭の中でプンプンしたのを覚えています。

基本的に現金を持ち歩かないアメリカでは、私もデビットカードでお買い物をするようになりました。支払いのときにカードを差し込み、頭の中で、日本語で「xxxx」と唱えながら暗唱番号を入力。この一連の動作がルーティーンになっているので、慣れたものです。でも、時として、予想外に他のものが追加されたりすると、自分の暗証番号ですら、行方不明に。以前、某商業施設のメンバーになるために、カウンターで手続きをしたことがありました。当然、英語でのやりとりですが、暗証番号をここに書いてと言われ、なんとなく自分でも心もとない気はしていたのですが、いつもの番号を書きました。書いたつもりでした。が、やはり私が感じた心もとなさは当たっていて、真ん中の2桁がひっくり返っていたのです。幸い、旦那さんが横で見ていて、私が故意にそうしたのか、ただ間違えているだけなのかの判断に苦しんでいたようです。言ってくれればいいのにぃ。後日、暗証番号が使えないで困っている私に、冷静に「真ん中の2つが逆なんだよ」と教えてくれた、数字に強い旦那さんでした。

また、毎日、出退勤時に使っている7桁の従業員ナンバーも、私の頭の中では、もちろん日本語です。先日、人事部の人と電話で話をすることがあって、「ID番号は?」と英語で聞かれたら、これまた思い出せなく。最初から英語ではなく日本語で考えればいいのですが、英語で話している延長線で思考が英語のままなのです。その流れで、数字を探そうとしても、出てくるはずもなく。そして、私の場合、一度その状況に陥ると焦りが募り、そこから日本語に戻ることも、まず不可能。英語と日本語の切り替えスイッチが完全に壊れた状態(笑)。電話の相手がいい人で、お互いに大笑いしたうえで、彼女がシステム上で私の番号を見つけてくれました。

アメリカに来て9年にもなるのに、今でも陥るこの数字問題。果たして、私だけなのかな?と思っていたこともあり、ここぞとばかりに、新人のベトナム人さんに聞いてみた、ということです。彼も私と同じで「英語で携帯番号とか聞かれても分からないよ」と言っていました。在米18年の先輩がそういうのだから、きっとそういうものなのだ!と、ちょっと安心。そしてこの問題はあと9年アメリカにいたとしてもついてまわるのかな、と、ちょっと残念。数字に対する得手不得手、語学脳の働き方の違いなど、人それぞれなのでしょうけどね。

私の場合、数字はいつも日本語ですが、普段の会話、普段の頭の中での思考は、話す対象によって英語だったり、日本語だったりしているように思います。例えば、日本の母や兄に話そう、と思っていることは、当然私の頭の中では日本語で考えます。でも、新人さんのトレーニングに備えて、考え事をしたり、準備をしたりするときは英語で考えています、多分。生まれてこの方、3/4は日本で日本語を使って生活してきたのですから、ほうっておけば日本語になるのでしょうが、最初からアウトプットが英語だと分かっているのなら、思考の段階から英語にしておいたほうが、結果的にスムーズに行きます。英語でも日本語でも会話をする旦那さんに対しての思考は、やっぱり英語だったり日本語だったりしますね。でも、しっかりと理解してもらいたいと思うことは、どちらかと言うと英語かなぁ。猫のもなかに対しての思考は、日本語です。

ちなみに、どんな環境でも、つい出てしまう日本語、というものがあります。出てしまう、というのは、私の心の中の声だったり、実際に口から出る声だったり。その代表は、「やばっ」「すごっ」「こわっ」、そして「よいしょ」。仕事柄、「よいしょ」は結構連呼していると思うのですが、意外なことに「今何て言ったの?」と聞かれたことはありませんね。私が逆の立場だったら絶対聞くのにな。

また、驚くことに、つい出てしまうようになった英語もあります。その代表は「Shoot!」「Dammit (Damn it)!」「Shit!」。どれもえらそうにできるものではありませんが、Shootは「しまった!」、あとのふたつは「ちくしょう」「くそっ」と言ったところでしょうか。でも私の場合は、例えば、ゴミを出し忘れた→Shoot!、オーブンで焼いているものの存在を忘れていた→「Dammit !」、食器洗い中に水を思いっきり自分にかけてしまった→「Shit!」みたいに、自分のおっちょこちょいさだったり、自分のミスに対して、つい出ることがほとんどで、しかも、かなり控え目に(でも、出てしまう)、そして、何よりも他人には向かっていませんので、お母さん、許してね~。

基本的に可能な限り相手が話す言語に合わせるようにしていますが、日本語にしかない表現や単語を、英語話者に使えればいいのに、と思うことは多々あります。そして同じように、時として、英語の方がぴったりくる、言い回しだったり、言葉の選択があることもあります。昨年の今頃、私は終末期を迎えていた父と過ごすため、緊急帰国し、コロナ渦の自己隔離期間ということもあり、父と母と、ただただ自宅で10日間という月日を過ごしました。あの10日間は、父が深刻な病状である、という事実はあれど、とても充実したかけがえのないないものとなりました。父との会話、父の発言、生きる姿勢を目の当たりにすることで、私は父の「私の父らしさ」を強烈に見せつけられた思いがしたのです。アメリカへ帰国してから、少し早めなのは承知の上、すぐに父へのバースデーカードを送りました。カードは誕生日よりも早く父の元へと届き、そして父は誕生日の5日前に旅立ったので、早めの投函は正解でした。カードを書く時点で、それが父への最後のカードになる自覚はありました。父へのカードなので、もちろん、日本語です。でも、カードの最後に書きたいと思ったのは「I'm proud of you.」という英語でした。父が見せてくれた「私の父らしさ」は、今後、私は私の人生をしっかりと生きなければ、と痛感させるものでした。そして、それこそ、父が私に伝えたかったことだったように思うのです。そのまま英語で書こうかとも思いましたが、悩んだ挙句、多少違和感はあるものの、日本語にして「お父さんを誇りに思います」と書きました。でも、今になってみると「お父さんの娘に生まれてよかった」のほうが近かったのかな、とも思うのです。日本語だろうと英語だろうと、時として言葉にするのは難しいけれど、気持ちは伝わっていると信じて…


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