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八郷

(平成三年九月)

 先日、ウルトラ・ライトのクラブを存続させようというM氏がお店に来て、鉾田のほか八郷にも別の飛行場を設けるというニュースをもたらしてくれた。八郷ならばここからは近い。 鉾田のメロン畑へ行く半分の時間で行ける。 ハングライダーの着地点のそばだと聞いたので、だいたいの場所の見当をつけて行ってみた。
 以前友人がしみじみと言っていたことがある「八郷もずっと山の中にはいると、絵はがきのような場所があるんだねえ」。つまり開発の手のまだ伸びていない場所がたくさん残っているということである。
 もう十年以上前のことであるが、八郷でもうんと僻地のなんとかという部落で、農家のお嫁さんが家族の何人かを斧で殺すという大事件があった。隣りの家まで歩いて何十分というような深く入りこんだ場所であったと記憶している。 彼女は部落でも働き者の嫁でとおっていた人で、なぜこんな事件を起こしたのか誰もが不思議に思ったということであった。詳しいことはわからないが、 嫁と姑のいざこざが発端になったということである。農家の嫁というと、現在は「どうぞうちの息子のところへ来てやってください。野良仕事はいっさいさせませんから。毎日遊んでいてもらってけっこうですから」 と親は手を畳についてまで頼みこんで来てもらうという御時勢である。
 しかし、この事件の嫁はそうではなかった。 朝暗いうちから畑に出て夜手もとが見えなくなるまで働くのが当然の時代に結婚したのである。町へ買物にも十分に行くことができず、ただ働くためにだけにその家に置かれているような状況であったらしい。このような状況の中で仕事に喜びを見出せる人は幸せであるが、恵まれない、不満だけを数えはじめると不幸が雪だるまのようにふくれていく。坂道を転がり出した鬱積だるまは、ある日、姑のほんのひとことで何か物に突きあたるまで転がらないと止まらなくなってしまったのではないか。
 友人の絵はがきの感想を聞いたときに、反射的にわたしはこの事件のことを思い出した。 涼し気な山かげ、澄んだ水、空気も汚れていず、聞こえるのは鳥の声くらい、というような平和な田園風景の裏側には、そこに人間が介在しているかぎりこのような狂気の世界をも含んでいるということになる。現場を見たわけではないが、まわりの風景がのどかな分、凄惨な場面はいっそう不つりあいで、まるで横溝正史の世界である。

 台風が去ったばかりの初秋の八郷は、のどかで田の稲穂も刈り取りを待つばかりというのがほとんどである。 空は晴れ、暑すぎず、 ひとりでドライブするのにはまったく快適な条件が揃っていた。
 近くまで行って空を見ると、ゆったりとハングライダーの何機かが空を散歩している。M氏はたしか整地は終わっていると言っていたが…と地面が肌を出している場所を探すと山の中に白っぽい台地が見えた。その麓にはブルドーザが置いてある。きっとあそこだろうと見当をつけた。よく実った田んぼの何区画かは、ハングライダーの人たちのために田を休ませてあるらしい。 日曜日なので地元の人はもちろん、多摩のナンバーをつけた事がたくさん止めてある。フライトをおわったらしい人がていねいに機をたたんでいた。
 眼鏡をかけた大学生らしいライダーが「ぼくは未熟だからそっちのほうで避けてくださいね」と言った。スピードや高度の調整はエンジンのついているウルトラ・ライトの方が早く対応できるか、それこそ未熟なわたしの腕で、これらの平和なライダーの人たちと空中衝突せずに飛べるかどうか不安になった。
 垂れさがるほどに実っている穂のところどころが丸く倒れている。
大学生君に聞いてみた。
「目標どおりに着地できないで田んぼの中に降りちゃうことないの?」
「ありますよ」と力を入れて答える。
「そういうときどうするの?」
「お酒を一本もって地主さんのところへ行って『すみません、すみません』」
「謝り倒すの?」
「そうです」
将来お酒一本ではすまされないかも知れないわたしの趣味は、これからどのように展開していくのであろう。

 ずっとむこうに田の仕事をしているらしい人かげが見える。その人に飛行場のことを聞いてみようと思ってそばまで歩いて行った。五才くらいの女の子をトラクターの前に乗せて、その人は鼻のまわりに汗をかき、一段下にある田にいるその妻らしい人に刈った稲をかける丸太の束を渡していた。いくら自分の休日でも、こうして汗して働いている人を目のあたりに見、まして自分の楽しみに関わることを聞くのは恥かしい気がした。

 八郷はその広い町のなかに、人間のあらゆる生活をすっかり抱え込むように静かに息をしていた。生活の底には人間のさまざまな感情もまた、ときに激しく、ときにゆるやかに息をしている。

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