見出し画像

可能性

 求龍堂は美術関係の出版物がおおい出版社であるが、やはり新聞に掲載されたこの社の案内で、種村季弘氏の「迷宮の魔術師たち」 という本を買ったのは、四年位前になる。
 それまでもずいぶん紙上広告で、ほんの二、三行のコピーによって紹介される本を、直接出版社に電話して送ってもらっていた。この買い方の利点は、自分がどこへも行かなくてすむ、迷わない、従って時間が節約できる、という大きなものがある。一方必ずしも期待通りの本でない可能性もまた大きい。さいわいにも私の場合は、打率は七割位で、比較的ラッキーであると思う。
 私の本だなは以前に住んでいた人の台所の出窓で、さすがにあとからペインティングはしてあるものの、しおりの揺れるすぐ下に送水パイプのあとがそのまま残っている、というシロモノであるが、そこに並んでいる本の大半はそういう方法で買ったものである。
 「迷宮の魔術師たち」はその中でも指折りのヒットである。絵の本はもとから好きでよくみていたが、どちらかというとクラシックなものしか今まで触れていない。「幻想画人伝 」という副題に、ひょっとしてボッシュのような絵の、もっと違った画家にあえるかも知れない、と思って求めたものである。十九世紀末ウィーン派とよばれる画家たちの十数人をいくつかの絵とともに、種村氏個人の絵に対する考え方や画家の生立ちなどについて書かれた本である。私はここに出て来る画家のただひとりさえも、今まで聞いたことも、又その絵を見たこともなかった。いかにも恥ずかしく情けない話であるが、知らないものはいたしかたない。そして未知のものは私には熱く続けた砂浜に急に落ちてきた夕立のように、あますところなく吸収され、本を読む前とあとでは、少なくともその感激の残っているうちは、大げさにいえば別人程の差ができる。
 種村氏の見解は私と共通するところが多く、 絵そのものだけでなく、たくさんの知識をもっていることをうかがわせる筆は、私に尊敬の念を抱かせる。 この本の中に紹介されている画家のうちのルドルフ・ハウスナーとリヒ ャルト・エルツェが特に私の興味をひいた。
  ハウスナーは、一九四三年、というから私の生まれた年にあたるが、カルパチア山脈の北の端に位置するタトラにいて、猛吹雪のため丸太小屋に四日間閉じ込められた。その時彼は小屋の粗末な材木の木理のなかに、見えるはずのない洞穴の光景を見ている。他の人にはそんなばかな、と思われるかも知れないことでも、私にはこれはまさに事実であろうことが自分の経験から、認めるのが容易である。 種村氏はこの現象をやはり「啓示」というこ
とばで表しておられる。
 もうひとりのエルツェは、その絵のひとつに大変驚いた。私が十六か十七の頃の日蝕の日にみた幻をもし一部絵に描くとこういう絵になるであろう、と思われるようなもので、第一に空の暗さのイメージが同じである。 本ではモノクロなので、ぜひカラーでこの絵を見る チャンスに巡り会いたいと思うのだが、「期待」という題である。
 二十人位いる人物は 一様に中折れ帽をかぶり、暗い空の彼方から現れる何かを待っているようなようすが描かれている。その表情はまったく見えないが、私にはすでに幻で知らされているので、絵のむこう側へ廻わる必要はない。
 私はまず求龍堂に電話して種村氏の住所を教えてもらい、すぐ氏に、私のみた啓示のことも説明して、私がいかにこの本によってドキドキしたかを知らせる手紙を書いた。程なく、しかし思いがけず氏からの返事を受取った。私の手紙を読んで「分裂病の少女ルネの手記」を思い出した、とマダム・セシエ、みすず書房の名前まで書いてあって、暗に私が幾分正常ではないかのような、少なくもそういう時期があったかのような文面で、恐れいった。せっかく種村氏が紹介してくださったのだから、とおもって私もどちらかというとノリやすいたちなので、もうその頃は数回本を送ってもらっていたみすず書房にこの本をたのんだ。まもなく本が届き、小さいのですぐ読み終わったが、ルネは病人であることがはっきりして、私はあまりパッとしない気になった。 その時分親しくしていた人に種村氏の手紙を見せて「ねえ、私は分裂病気味かしらね」 幾分謙遜していったところ、彼の答えはこうであった。
「可能性はずいぶんあるんじゃない?」

 (昭和六十四年一月)


「期待」リヒャルト・エルツェ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?