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ひとつの糸

(平成四年三月)

 奈良の帰省の折に、わたしは数年ぶりに電話ではあるが妹と話した。母が仲を取りついでくれたのである。
 その電話ではおもに読んだ本の話ばかりをしていたが、その中で妹がぜひわたしに読むようにと勧めたのがE・C・ロス女史の「死の瞬間」であった。
 たまたまそのころ読んだばかりの養老子の「涼しい脳味噌」の中の臨死体験の記事について触れたことから始まったものであったが、こちらへ帰って きてからすぐに本屋さんに頼んだ。
 アメリカの女性の書く文章には独特の癖がいたるところに認められる。男性の書いたものにはそれほど感じられないものが、どうして女性の文にばかり目立つのか不思議なくらいであるが「嫌味っぽい」と表現せざるを得ない文がこれまでに読んだアメリカ女性の筆になっている。
 ロスの文も初めの一ページ目を見ただけでそれに気づき、たちどころに読む気力をそがれてしまった。そうしてかなり長い間そのままになっていたが、思い直して読むことにした。彼女の来日の折には妹がその通訳をすることになっていたというので気になったからかも知れない。 通訳は彼女の来日が中止になったことでする必要がなくなってしまったと、妹は残念がっていた。
 ロス女史の試みは初めはどの病院からも敬遠されたが、次第に「これから死を間違いなく近い将来に迎えている」という状況の人にその時点で何がいちばん必要かということを的確に教えてくれている。いくつかの新しい理解を少しの文章にたいする抵抗と共に得てから、この本はむしろわたしなんかよりも現在病院で働いている医師や看護婦により適していると思われた。早速に近所のGさんの奥さんに勧めた。彼女は準看の資格をもっていて、医師会病院に勤めている。その彼女からも本を借りた。山崎章郎という医師の書いた「病院で死ぬということ」という本である。これはたいへんわかりやすく、しかもロス女史から決して遠くないことがらが書かれていた。とくに後半の数篇は涙なしには先に進めないのがあり、わたしは借りて一日ですべて読み終えてた。山本医師の本の中にも彼がロス女史の本に出会ってから「人間の尊厳をもった死」ということに向き合う意志が強くなったことが書かれていた。
 奈良へ帰ったこと、母が妹と話す機会を作ってくれたこと、妹がロス女史の本をわたしに勧めたこと、最近になってそれを読んだこと、そしてGさんから借りた本の中にまたロス女史が顔を出したこと、すべて一本の糸でつながっている。それだけではない。今日日本医師会は報告書で人の尊厳死を認め内容を発表した。これは今までにない画期的にことである。山崎医師にしてみれば「ようやく・・・」という思いが強いはずである。夜のニュースの第一項目であったから、このニュースの重さがはかられる。現在、日本には尊厳死協会という団体があって、ここに登録しておくと「不必要な延命措置を断る」旨の意思書を発行してもらってそれを医師に提示することができる。この登録者は今年は去年の倍にもなって、現在三万人余になる。この提示を受けた医師の九割はこれを認めていて、提示どおりにしているという報告がある。末期患者というのは死ぬ六カ月前の患者を言うという定義があることを初めて知った。提示を受ける側の医師にもそれに従うにしても最低の条件があり、それは次の三点である。
(1)痛みを和らげるための処置は必ず施す
(2)記録を必ず残す
(3)独断ではなく、チームで方針を決定する
 
 ごく短い間に、私の周辺でひとつのことを通して、いくつかの別の糸が元のひとつのとこに撚られたように思える。

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