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納豆で笑う

 (平成四年五月)


 長女は納豆が好きである。炊きたてのごはんに納豆をかけて食べると、他に何もおかずがいらないといつも言う。 細かく刻んだ葱とたまごを一個割り入れたのをよくかき混ぜてついているタレをまわしてごはんにかける。わたしも納豆は嫌いではないが、娘ほどではない。ごはんにも合うがこれが食パンにも合うと、父親譲りで「納豆パン」なるものを娘は食する。
 わたしはごはんにかけて食べるのはまあいいが、パンに乗せて食べたことはない。娘の希望で今夜は納豆パンということになったが、とくに深くも考えないでわたしはいつもと同じように葱を刻み、たまごを入れて小どんぶりに移して食卓に出した。パンを焼いていた娘が「あら、お母さん、たまごいれちゃったの?」というので、パンに乗せるときには何も手を加えないのがいいということがわかった。しかし、もう遅い。「いいじゃないの、 落っこって来る前に急いで食べれば」と焼けたパンに無理やり乗せさせたが「葱くさい」と、一口だけ食べたのがこっちに回ってきた。しかたがないのでジュルジュル納豆が落ちて来るのをお皿ごと食べるような感じで食べた。まだたくさん納豆が残っている。「お母さん、 これ全部食べてね!もったいないから!」と娘がいう。「いいよ、食べるよ」とは言ったが、娘ほどの納豆好きではない上に今夜ははじめからパンのつもりであったのでごはんがない。どうやってこの納豆をテーブルの上から抹消するか。娘が言うように「もったいないから、やはり食べるしかないのである。意を決してわたしは納豆のはいっている小鉢をとりあげ、お茶漬けかなにか食べるような格好で一気に平らげようとした。味などなんでもかまわないのである。 要するに目の前からこれがなくなれば娘にも顔向けができる。そう思ってひとくち食べかけたが、どうにも情けなく、なぜ娘に怒られながら納豆をかっこまなくてはならないのかと思うと、みじめを通り越して無性におかしくなってきた。

 わたしが子供のころ、買物から帰ってきた母が、台所へ買ったものをそれぞれしまおうと入って行き、そのあとをわたしもなんとなくついてはいった。買った中にはソーセージがあった。 畜肉ソーセージではなく、今では ほとんどの人が犬や猫の餌用にと買って行くあのピンク色のソーセージである。なぜかあの手のソーセージのパッケイジは数十年も変わらず赤いセロファンである。その下には両端を金具でとめたビニール製の袋があり、その方法も包装の材料も十年一日のごとくである。そのソーセージを、母はどこかにしまうと思いきや、やにわにセロファンを破り、端の金具を歯で食いちぎり、皮をむくようにビニールをはがすとそのまま出てきた中身をまるでバナナか何かでも食べるようにあっというまに一本食べてしまった。
 ふだん母はお行儀にはうるさく、箸のあげおろしひとつにも目を光らせるようにわたしたちに小言をいっていたのである。その母がソーセージを立ったままで、しかも庖丁も入れずに丸のまま食べるなどという、わたしにはまったく考えもできないようなことを、わたしの目の前でしたのである。
 母はものも言わずにただムシャムシャと食べ、食べ終わってからハッと気がついたようにわたしの顔を見た。そしてなぜ自分はこういうものを持っているのだろうという表情でバナナの皮のように垂れさがっているソーセ ージの皮を見て突然アハハハハと笑い出した。 自分のしたことが信じられないような、突拍子もなくおかしいような、いわば衝動的に食べてしまったその行為を単純なおかしさに帰したのである。わたしも釣られて笑ったが、どうしても母がそういうことをするとは信じられないほど不思議なことであった。それは今でも忘れることのできない光景である。こうした、食べ物にまつわるおかしな思い出は妙に印象に残る。

 そんなことを思っている鼻先に 「葱くさい」匂いもついにはおかしさを助けるものとなってくる。箸を途中でとめたままわたしは吹きだしてしまった。娘はテレビを見ていたが、わたしが立てた異様な物音に驚いてわたしを見た。異様な物音とは、わたしがまず鼻の中ほどで出した吹き出し始めの音である。 わたしはすでに声も出ないで肩をふるわすようにして笑いをこらえている。 こらえるとよけいに笑いが増幅されて、涙が出てくる。ついに座ってもいられないで、お箸と小鉢を置き下にからだを投げ出す。そのころにはお腹の皮が痛くなっている。 笑っても笑い切ることができなくて苦しいのである。呼吸もままならないほど笑いこけてもまだあとから笑いのもとがわたしの心の中に生まれ続けて、どこまでもひろがる波紋のようにおかしみが際 限もなく襲ってくるような気がする。 箸が転げてもおかしいと言われる年ごろは、もう三十年も前に過ぎているのに、どこか脳の中のタガがゆるんだのか、よく言われるように糸がプツンと音を立てるようにして切れたのか、とにかくこの現象はその後二十分ほども続いた。もうとめようと思ってもなぜだかわからない笑いの怪物がわたしの顔の筋肉をゆるめ、わたしの脳の中をその恐ろしいような指先でかきまわす。
 実際に「笑い死に」というものはあるかも知れないとまで思った。

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