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スケッチ途中下車

(平成三年七月)

 入院していた姑が、起こしたベッドにもたれてうたた寝しているところや、自分の手をスケッチしたりして提出したが、いっこうにいい評点がもらえない。悪くはないはずだと思っているのでがっかりする。静物を描いても、自然光のもとではなく人工的光の下でしか描けない時間帯での制作は、どうも添削する先生には理解できないらしく影のつけかたがまずいとかいろいろ難癖をつけられる。おもしろくない。その場にいっしょにいて「そうじゃないでしょ」と言われるのならわたしも納得するしかないが、離れたところにいて「こういうふうに見えるはずだ」と杓子定規をあてがわれるのはいやだと思っていた。
 そういう矢先にNHKの教育テレビで水彩画入門というプログラムが始まった。講師は絹谷幸二さんである。絹谷さんは中学のとき隣の組にいた人で、わたしが覚えている限りでは神経質そうな感じでどこか癇癪もちっぽいとこ ろがあった。一度美術の時間に自分の手を描くというテーマが与えられたときに彼の作品が廊下に貼りだされて、そのときに初めて彼が絵のうまい人だとほとんどの生徒が認識した。
 色が白くて背が高く、口数少なく、だれとでも親しくなるというほうではなく、 ごく限られた男子生徒とだけ話しているようであった。彼は人目を引くハンサムであったから、女の子たちから騒がれていたはずであるが、どこかへそういう問題をうまく隠して学校での生活をしていたようである。
 日経新聞に「プール・サイドの女」という絵の作者としての彼の名前をみつけるまで、わたしは絹谷さんのことなどまったく意識にもなかった。ただ名前だけは覚えていたので略歴の中に奈良出身と書いてあるのをみて「あの絹谷君」と思った。
 まもなく銀座の画廊で彼の個展が開かれるという記事を新聞でたまたま見て行ってみた。彼に会えなかったが、今でもほとんど変わっていない独特の青が絵の中に文字が書かれているのを奇異な思いで見て帰ってきた。画廊にいた女の人に彼の家の電話査号を教えてもらったのでかけてみたがそのときには不在で、かわりに出た奥さんは、しきりに学校時分の彼の印象を聞きたがった。その夜彼から電話があって関西のことばでしゃべり、同級生として懐かしい話をした。彼もやはり図書室のあの大判の美術の本をかたっぱしから見たらしい。本の並んでいた場所も覚えていて、そのことでわたしは彼に親しみを感じた。
 それから何度か手紙を書いたりして十年くらいがたってしまったが、彼は芸術大賞を受け、今ではすっかり有名人になってしまった。彼の作品集を求めたり、笠間で開かれるビエ ンナーレには必ず行って、そのたびに手紙を書いて感想を述べたり近況を知らせたりしているが、彼からはいっこうに返事は来ない。 多分、すでに異質の世界にはいってしまって忙しいのであろうと思うが、彼がハレー彗星とミジンコを同時観察するのは、わたしがそうするのとは違ってきっともっと幅が広いと思う。そしてバランスを取り続けることができる人なのであろうとも思う。
 前に説明すべきことがたくさんになってしまったが、要するに、わたしはその絹谷君の担当する番組を見ることでわたしのスケッチの宿題にひとつ、これまでとはまったく違った取り組みかたができるようになったのである。
 彼が番組の中で教えてくれた最良のことは、 絵を楽しく描くということである。いたって簡単なことばで表すことができるが、彼はこれまでいつも制作にはこのことを忘れないであたってきたのであろう、そういう感じが決められた講義をする中にも認められて、わたしはおおいに力を得た。見えないものを描くといえばいいのか、見えているものに内包されているものを描くと言ったほうがいいのか、とにかくそこに必要なのは想像する力である。たしかに見えるものを見るとおりに描くこともたいせつであるが、そこからもう一、二歩奥へはいったところで見えるものあるいは感じるものを絵の中に表現するということは、心を自由に遊ばせないとできにくい。小さいこどもは、 絵を描くルールを知らなくても自分が見 たとおりに描くということを自然にできる。そういう意味ではおとはこどもにかなわない。 絹谷君は、おとなの人にもそんなこども遊びのような方法を楽しむことを、あの番組をとおしてくれたのである。
 六月の最終水曜日で彼の番組は終わった。わたしはすぐに彼にお礼の手紙を書いて、宿題制作の上でおおいに助かったことを知らせた。例によって一方通行の手紙になるであろうことは承知しているが、わたしのほかにもわたしと同じ感情を持ってあの番組を見ていた人がいたとしても必ずしも彼にそれを知らせる人ばかりとは限らない。したがって、わたしはそういう人達の代表のつもりで手紙を書いたのである。
 思っていることは、それだけでは相手には伝わらない。なにかもうひとつ進んだ行動が必要である。 わたしはいつもそう考えながら手紙を書く。
 三回目の提出からはAが評点となってわたしのもとに作品が戻ってきた。これはまさに絹谷くんのおかげである。

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