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献体の記

  東京医大の解剖学教室から体者カードを送ってもらったのは二カ月位前のことであろうか。これを受取った時、私は思いもよらなかった安心感を得ることができた。それはひとことでいうならば、「ああ、これでいつ、 どんなことで死んでもいい」である。
 いつの頃からか、私は死ぬなら誰か他の人のために死にたい、と考えるようになっていた。 人間として最も美しい死が、理念としてその姿を表すことができるなら、これに優る方法は、私には他に考えられない。
 この最初のきっかけになったものは、今思い返してみるとどうも太宰治の「走れメロス」にあるように思う。 中学か高校かはっきりしないのが情けないが、とにかく国語の教科書にこの短い話が載っていた。親友のために命を賭けて走るメロスの話である。 聖書のなかに、「人がその友のために命を捨てる、これより大きな愛はない」と断言されている。 キリスト・イエスが人間の罪の全てを負って、 身代わりになって十字架にかけられたことは、このことばを自ら実行したことに他ならない。ナチスドイツのもとに囚われ仲間の捕虜の身代わりとなったコルベ神父、アメリカで起きた飛行機事故の時、救助のヘリの順番を婦人のために譲った紳士、フィリピンのボトランの海に、その友のために沈んだるつ記さん、映画にその例をとるならば 「ポセイドン・アドベンチャー」のジーン・ ハックマンの演じた牧師、死にはしなかったが「最後の航海」のウッディ・ストロードの演じた乗組員など、私には憧れの存在である。人間愛などというだいそれたものでは、私の場合はない。 すべてドラマティックでセンセーショナルであることから、人と違ったことをやりたがる私の、いわば目立ちたがり屋精神のあらわれであると、この際白状しておいた方がよさそうだ。
 自分の肉親のためでなく、なるべくならアカの他人のために死ぬことが私の理想とするところである。しかし私に身代わりに死なれた人は、 もしかしてずっとそれを負い目に生きることを余儀なくされるかも知れないのは、気の毒な気がこの頃するので、できればあまりデリケートではなく、何でもすぐわすれる人という限定をつけられればつけたい。
 人は生き方を選ぶことはできるが、死に方は選べない。希望するように死ぬことができればポックリ寺にお参りする人はいない。
 死はいやおうなしに、場所を選ばせてもくれずにやって来るところは生の場合と酷似している。最大の差は、人間の目で追える時間の継続性であると思う。 好むと好まざるにかかわらず訪れる死とその方法を、少しでも 自分の好みに近づけようとするならば、これはもうその願望を持ち続けることしかないように思える。人間の力の及ばないところで行われる取決めに、この世の誰が口出しできるだろう。ただ黙って祈ることしかできない。
献体は、私にとっては最も消極的な「理想の実現」のひとつの手段といえる。
 「彦一とんちばなし」にお殿様からなんでものぞむものをあげよう、といわれた彦一が盃一杯の水をもらって、城内の泉水にそれを注ぎ「この水の潤す田を全部」といってお殿様に「参った」といわせるはなしがある。 私の献体はこの卑怯さに似ていなくない。 保証のための約束を先取りしてしまっているような後ろめたさがくっついて来て、たとえ人のために死ねなくとも、死んで後人の役に立てるから、といういいわけがましい、ちょっと不甲斐ない私の理想がそこにある。
 人の死の寸前とその後では観念を超えた距離が存在するような感じが、あまり信仰心のあるとはいえない私にもつかめる。 その時になってから騒いでもすでに遅い。目で追える時間はもうない。いい方を変えるならば次元が異なってしまっている。
 生きている時に、命にも悩みにも感謝して忘れている多くのものを、知らないでいるたくさんのことを、この頭の中に詰め込んでおこう、とついつい欲張りになってしまう。私はまだ己を知っていないらしい。
 日本人は遺体に傷をつけることを極端に嫌う傾向が強いが、その点では私は非日本的といえるかも知れない。肉体は、生きている間の精神のいれもの、優先すべきはこころ、と考えているので、他の人がいう献体に対する抵抗感はまったくない。しかしこだわるようだが、私の理想からみると、献体は私の生きてはいない意識のもとで払われる犠牲なのでやはりドラマティックではない。

(昭和六十三年十二月)


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