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「文章読本」のこと

 丸谷才一の「文章読本」はもうずっと以前から手元にあるのにロクに読んだこともない。そればかりかどこかへしまい忘れてしまっていまだにみつかっていない。そのほか世には「谷崎読本」も「三島読本」もあるというのにその表紙をさえ見たこともない。そのわたしが文章を書くのは、考えてみるとおそれおおいことのようにも思える。
 数カ月前にたまたま書店で「誕生日のアップルパイ」という八九年のベストエッセイ集をみつけたのをかわきりに週刊朝日の編集による「私の文章修行」、光村図書の「風のつよい夕暮れ」、井上ひさしの「自家製 文章読本」などをたてつづけに読む機会に恵まれた。もちろんこれらは自分が文章を書く上ですこしでも勉強になれば、と思って求めたものである。どれもおもしろくてためになる。 落語で聞く親孝行のはなしのようである。
 
 わたしが高校を卒業してすぐ勤めていた会社がポンプのメーカーであることは前にも述べ たが、わたしが受けもっていた仕事に受注書に工事番号をつけるというものがあった。一般の注文とは別の自社発注の工具、設備についてはまったく別の工事番号がつけられる。初めは奇異な感じがしたが、それを作るため道具があり、それを使いこなす人がいて、また、使い易いように設計してくれる人までいるのであるから、あとは材料さえあればそれが出来上がるのを差止める何物もないので ある。これらはポンプのメーカーに限らずどんな製造工場にもある例で、良い製品をより効率よく生産するためには当然のことであっ て、ほかの受注先の製品の製作とはまったく意味が違っている。これをもう少し飛躍させて恐ろしい場面が「鉄腕アトム」の中にある。ロボットが自分と同じ型のロボットを作っているというもので、これを見たときのわたしのショックはこの工場をこっそり見てがく然としたアトムに優るとも劣らないもので、あの場面の漫画を見たのが小学生であったこと を考えると手塚治虫という人はすごい人だったんだと今さらのように思う。
 
 それはともかく、「文章読本」というと先の自社の工具のイメージがついてまわるのはなぜであろうかとずっと考えていた。文を書かない人が読んでもおもしろいというわけにはいかないかも知れない。言わば向こう岸の火事を見るような感じであろう。しかしわたしの場合川の幅が狭く、瀬も浅いので向こうの焼けだされた人がこっちへ避難してきそうでのんびりはしていられない。もう読んでしまったからには知らないと言えなくなってしまったのである。向こうから人が逃げて来る前になんとかしなければならない。
 「国語辞典」や「漢和辞典」は文を書く上ではわたしには必需品であるが、どちらかというとJIS規格のパーツのようなもので「〇〇読本」となるとやっぱり自社製品のための自社発注工具あるいは設備、ということになりはしないであろうか。井上ひさしの「自家製 文章読本」の最後にこう書いてある。「伝達ではなく、表現の文章を綴ろうとなさる方は、各自、自分用の文章読まれるのがよろしい」
 これを読んだとき、 わたしのもっていた「 文章読本」にたいするイメージが実にはっきしたのである。井上ひさし、バンザイ!「名文を読め」、「話すように書け」、あるいは「話すように書くな」等々こちらの貧しい頭中に文章に関するごった煮がお茶椀にてんこ盛りにされて出されるものだから、実はおなかが空いているのに食退してしまうようなあんばいでいるところへ、消化のいい好物が出てきたようなもので、手放しでにこにこしてしまう。
 そうはいうものの自分のために読本を頼むほどの技量は今のわたしにはとてもない。良い製品(作品)をより効率よく(より読みやすく) 作る(書く)ためにほかの受注品( 純粋に読むための本)とはまったく違った本を書くのはおろか読むことさえむずかしい。わたしにはせいぜいたくさんの本をできるだけ読むことくらいしかできない。

 先述のポンプメーカーに勤めていたときの話を少し。
受注先は学校や住宅公団の入札を受けた建築業や水利関係の会社が大半であった。ボンプの使用場所や目的によって型式が違うのは当然のことであるが、今でも覚えている型式に多段タービンポンプはTMIK渦巻きボンプはSVIK、というのがある。
 ところでお堅い発注先の多い中で異色のお客さんがいた。キャバレーFという当時の大阪では聞こえた大きな店で、新米のわたしはなぜキャバレーでポンプが必要なのかさっぱりわからなかった。Fの営業担当は「遊び人」と 自他ともに認めていたTさんという、社長の息子であった。わたしがお昼休みに楽しむためにもっていったウクレレをいとも鮮やかに弾きこなしてわたしを驚かせた人である。
 一度Fの方の担当者が工場に来たことがある。早くいえば「こわいおにいさん」で、そんなことも知らなかったわたしを先輩の女子社員のYさんが声をひそめてたしなめたものである。キャバレーでなぜ特殊ポンプといわれるがいるのかいまだに確かなことはわからないが、どうやらフロアの真ん中にしつらえられた噴水のためであったらしい。
 試運転だの立会い検査となると何をおいてもでかけて行ったTさんのようすが今でも目に浮かぶ。ポンプといっしょにターボファンやシロッコファンと呼ばれる送風機も作っていた。それらの納品先のひとつに有名なT印刷があった。そのころから好奇心旺盛なわたしは送風機の設計担当のHさんに「なんで印刷会社でファンがいるの?」と聞いたことがある。Hさんはこう答えた。「それはなんでH重工業(勤めていたポンプ メーカーの名)に女の子の岡田さんがいるのかと聞いているのとおんなじこっちゃな」 
わたしが社会人一年生のころのことになる。

(平成元年九月)


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