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余慶あり

 日本労働協会が毎年募集する通信教育生になったことがある。私が毎日配達に行っている先の、T工場の社報をちらと見したのがそのきっかけである。自分の仕事とはまったく無関係のところで、自分に力がどの位あるのかを試してみたかったからであるが、送られて来たテキストと問題を見て私の考えの甘かったことを悔やんだ。
 受ける前は、何、テキストさえよく読めば答案用紙を埋めることはそれほどむずかしくはないはずだ、とタカをくくっていた。
 ところが及第点を得るためには、テキスト外の知識が必要で、しかも実際の現場で常に労働に対して問題意識をもって取組まなければ回答ができないようなしくみになっていた。第一回目から早くも私は難航したのである。
 四問位の出題で、二問はテキストに答えが書いてある。しかしそれが正解であっても、あとの文章題ができないと及第にはならない。 答案の提出期限は一ヶ月で、ふだんは店の仕事に追われるので、私は比較的ヒマな日曜日の午後を、もっぱらこのために使った。字数の制限があるので、たとえだいたいの構想がまとまっても、必要不可欠、そうでないものの取捨選択がむずかしく、少なくとも多少自信のあった文学的な素養はほとんど不必要であった。
 書いた答案におおいに未練と不安を残しながらも、なんとか期日までに投函できたが、たった一回だけ、労働法の回の時は、手許に法律の本がなかったので遅れてしまった。私はいいわけがましく、協会あてに、自分がこの通信教育を受けようとした動機や、またこれは実際のことではあるが、これに参加するようになってからは、今までまったく関心のなかった労働問題のニュースに目や耳が自然に向けられるようになったことなどを書いた手紙を出した。すると程なく、 協会から返事が来た。私としては弁解がむこうへ通 じさえすれば、それで充分であったので返事をもらったのは思いがけず、またうれしかった。そこには私の甘かった見通しをも許してくれる程の激励のことばがあって、しかも私のチャレンジ精神をほめてくれるあたたかさがあった。人をやる気にさせるのは、こういうあたたかさである、とつくづく感じた。残された三回もどうにかこぎつけそうだと思う頃、テキストといっしょに送られる会報に、私のいいわけの手紙が掲載され、その原稿料として五千円が現金封筒で送られて来た。私のよろこびは一様ではない。金額ではなく、私の存在がまったく知らない人に認められたというよろこびである。
 次の年の七月、私は基本コースの修了証書をもらうことができた。終わってみると、チラシの裏などに回答の下書きをかいて、字数をかぞえながら四苦八苦したことが、いかにも勉強したような気にさせてくれて、私は最もよくても八十何点、という自分の成績に満足したものである。
 はじめに支払った授業料が一万四百円である。五千円もらったので、私は五千四百円でちょっと手にいれられないような貴重なものをたくさんもらってしまった。

(昭和六十四年一月)

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