対話の場づくりにこそ、行動が大事だよっていう話
そういえば、今回あさがやPICNIC(メリーゴーランド)の会場となる阿佐ケ谷駅の南口広場のことなのですけども。
JR阿佐ケ谷駅の主な出口は南北にありまして、北口はすぐにバス停が並んでいます。通勤通学にバスを使う方もとても多いです。一方の南口には広場があります。シンボルであるアケボノスギは、冬にイルミネーションが施されますので、電車からみる方も多いはず。噴水、公衆トイレ、喫煙所もあり。ベンチにちょっと座ったり、犬の散歩で立ち寄ったり、阿佐ヶ谷民の憩いのスペース。タクシーや運送業者さんが広場の周りに車をチョイ停めして、トイレや喫煙所を使うことも多いです。荷捌きスペースの不足が気になりますが、交番が目の前にあるためか、わりと平和〜な雰囲気。
しかしですね、そういえば噴水はいつからか水が出なくなって「四角い人工池」になっています。噴水の水全部抜いたら何か出るかしら・・・。喫煙所は、愛煙家にとっては隅っこ感があるし、吸わない人や子連れにとっては「なぜここに?」という感じも否めない。トイレを使っているのは男性が多いかも。アケボノスギはちょっと根のまわりが狭くありませんか・・・。地面が押しあがって凸凹してきたなあ〜。長年のシンボルツリーとしての激務お疲れ様です。あとは、ハトが多くて上空から「運」が落ちてくることがあるので、憩いの場だけど、微妙に緊張感ある・・・。憩いの空間なりに、もうちょっと良くならないだろうかと感じることもしばしば。
ただ、だからといって阿佐ヶ谷のまちづくりにおける優先順位を考えれば、この南口広場がすぐに、なにか大きく変わるわけではないかも。区道と鉄道用地(JR)が入り組んで、都道に接した南口広場は、たぶんみなさんが思っている以上に「しばらくこのまま」な可能性が高い。でも、大きく変わるその時は、今後いつか必ずやってくる。
その時に、じゃあ対話的にまちづくりをしていきましょうとか言われますよね。住民も設計プロセスに参加してくださいとか。でも、会議室で「まちの課題について話す」って実際にはけっこう難しいです。興味のないものに参加する人は少ない・対話が続かないですし、話が空中戦(あるべき論とか他人事な感じ)になりがち。自分にとっての希望がないのに、まちの課題に向き合うって無理じゃない?
でも、だからこそ、「そういえば、あそこでメリーゴーランドやったことあったよね〜」「あったあった!楽しかったよね!」というような実際の体験と記憶が、まちの対話を繋いでいくのではないかとおもいます。実際に暮らしたり使っている人たちが、日常と非日常を行き来しながら「この空間って、こう過ごしていいんだ」と気付いたり、「この広場で、こうやって過ごしたい」「こんなふうになったらいいな」「こんなことをしたいな」という希望を自覚するチャンスがまず、必要なんです。それらが結局は「対話によるまちづくり」のベースになる。行動するからこそ、他者との対話のチャンスが訪れる。だから、さっさと「やってみる」のはとても大事です。「やってみる(体験する)→ふりかえり→自分の経験を位置付ける→誰かの経験をきく→わたしたちの課題を考える」。遠回りに思えますが、「わたし」を主語にして話すチャンスがあるからこそ、「わたしたち」を語ることができる。
対話は想像よりずっと身体的なものだし、ひとりひとりの体験から紡がれるもの。だから、実際の行動や活動込みで対話の場をつくっていくことがとっても大事と思います。
なお、今回のあさがやPICNIC、ご多分に漏れず「やったことない」「前例がない」「ルールがない」と言われることばかり(いや、ほぼ全部)。事実をひとつひとつ確認しつつ、いまあるルールを聞いて、何が必要かを考え、「たとえば、こうならできますか?」を話しながら行動するという、あまりにも普通の方法で進めております。いつのまにか、みなさんウッカリと「まあ、それならいいかなあ。やってみるか~。(しかたねえなあ・・・笑)」と言うようになるのが不思議なところです。