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破れた恋に、火をつけて。〜元彼とライバルな氷の騎士が「誰よりも、貴女のことを愛している」と傷心の私に付け込んでくる〜 第六話

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

06 出会い(side Lancelot)

 上手くいかなかった初恋で心に残るはずの大きな傷は、他でもない恋をした相手その人によってあっさりと消し去られた。

 不思議な事に彼女を愛して付き合っていたという事実は記憶にあり覚えているのだが、その時の気持ちがすべて消えてしまったので目の前で背中を向けて去られても、何の悲しさも湧いて来ない。彼女自身が、それを望んだから。

 何の頼りにもならなかった役立たずの若者は助けを求めていた彼女に捨てられてしまった事実だけが、頭の中に焼き付けられた。

 ことある毎に宿舎を抜け出し恋人に元に足繁く通い会いに行っていた自分が、今までになく真面目に勉強や鍛錬に取り組むようになり、常に説教するか怒っているかどちらかだった教官は妙な表情をしつつも何も言わなくなった。

 憧れの的である王宮騎士団に入団出来たというのに。新人の訓練所に入ってからずっと、一人前でもない癖に、くだらない恋愛になんぞにうつつを抜かすなと怒られ続けた自分だったが、失恋後は絵に描いたような真面目な優等生になったからだ。

 失恋をしたというだけの曖昧な記憶と、その時の感情を一切無くしてしまっている自分。他でもない彼女が去り辻褄の合わないちぐはぐな心には、いつも何かが足りないような気がしていた。

 訓練所を出て、ようやく一人前の騎士となり運良く数々の戦功を立てて上に認められた。騎士が目指すべき頂点である筆頭騎士の一人に選ばれたというのに、それでも心の中に何かが足りない。

 人生において生きていくための大事な何かが、常に何かが足りなかった。

 そして、彼女を知ったその時に城近くにある大きな木の上に居たのは、ただの偶然だった。木の上に上ったのは、城で勤め始めて初めてだった。

 その前の晩は仕事で夜を明かしてしまうほど大掛かりな犯罪集団の摘発にが駆り出されたのだが、騎士は定められた人数で城を常に守らねばならないため、その日に決められていた勤番は何があろうと変わらない。

 徹夜のままで昼の任務に就くしかないのだが、色んな業務を立て続けにこなしその日ばかりは本当に疲れていた。

 木の上で葉に隠れて少し眠ろうと思ったのは、ただの気まぐれだ。昨夜の事を知れば、上司もお目溢しをしてくれるだろうが。彼の立場上、サボっている部下を見つけた以上は怒らない訳にもいかない。

 木の上ならば、自分が少々眠っていても誰にも見られないだろうと思っただけ。太い幹の上で眠りにつく体勢を整え、目を閉じようとしたその瞬間に可愛らしい声が根元辺りから聞こえてきた。

「……ラウィーニアが、羨ましい! 私だって、コンスタンス様みたいな美形の王子様の婚約者候補になりたかったわ」

「お母様がディアーヌも是非候補に入れて欲しいと、仲良しの王妃様に頼んで居たのに。王子たちとの顔合わせが行われた時に、そんなの良いから領地に帰りたいと泣いたのはディアーヌ本人でしょう?」

「えっ……そうだったっけ。なんで、私。あの時に、領地に帰ったのか思い出せない……本当に覚えていないのよ……もうっ、後悔先に立たずだわ」

「確か……領地の館に産まれたばかりの子馬が見たいって、あの時に騒いでいたわよね。私は今も覚えてるわ」

 ラウィーニアという名前と交わされている話の内容から、木の下で座り込んだ御令嬢二人の内の一人がライサンダー公爵令嬢だという事はすぐに知れた。我が国の王太子の婚約者の最有力候補だと言われている女性だ。美しく聡明で身分もあり、王族に嫁ぐに足る気品も兼ね備えている。

 自分も決して口には出さないが、彼女に決まるだろうなとは思っている。王太子の彼女を見る目が、一人だけ特別なものだからだ。

 だが、もう一人のディアーヌという令嬢の名前は、聞き覚えがなかった。少なくとも、王子たちの婚約者候補の中には入っていなかったはずだ。

「信じられない。子馬と王子様の二択を出されて……その時の私ってば、子馬を選んだのね……」

「だって貴女、あの時四歳よ? 自分の意志を伝えられるにしても幼かったし、訳もわかっていなかったんだから仕方ないわよ。ディアーヌはせっかく貴族だというのに、珍しく政略結婚しなくて良いんだから。妥協せずに、好きな男性を選べば良いでしょう? 例えば、どんな人が良いの?」

「真面目で、誠実で」

「その二つだけだと結構な人数が、その条件に当てはまりそうね……他には?」

「騎士が良いわ!」

「……騎士って。騎士だと、爵位のない次男や三男になるわよ? ディアーヌは政治的にも財政的にも、何の問題もないハクスリー伯爵家に産まれているんだから、伯爵位以上の嫡男とだって良いご縁が望めるのに」

「そんなの! だって、さっき見た騎士が凄く美形だったのよ。背も高くて身体も鍛えられていて、本当に、素敵だった……控えめに言って、結婚したいわ」

「我が国の王宮騎士団には、美形の騎士は多いけど……どんな騎士なの?」

「見事な美しい銀色の髪だったわ。背も高くて、見上げるくらいの……本当に、整った綺麗な顔していて」

「それ……ランスロット・グラディスよ。氷の騎士と呼ばれている」

「……氷の騎士?」

「王宮騎士団の五人の筆頭騎士の一人。各属性の中で一番優れている人を、筆頭騎士って言われているのよ。でもあの彼は、女嫌いって噂があるから……かなり難しいかも」

「そんな……女嫌いなの? あんなに、素敵なのに勿体無い……待って。まさか! 男性が好きとか?」

「そんな噂はないから。それは違うとは、思うけど。コンスタンスの部下だから命じれば一応夜会にも出席するけど、彼はどんな令嬢に誘われたとしても誰とも踊らないっていう話よ。ディアーヌの手に負えるような人では、なさそうよ……」

「私だって、自分の身の程は弁えてはいるわよ。あんな人と一回でも踊れたら、良いのに……ねえ、聞いて。社交界デビューの日は、結局はお兄様がエスコート役なのよ。出来ればエルリックが良いのに。その日はもう、学院に戻ってるからって断られて……」

「素っ気ない弟で、ごめんなさいね。そういう年頃なのよ。仕方ないわ。デビューの時は、婚約者でなければ肉親がエスコートするのが普通だもの。でも、夜会って格好の出会いの場よ。もしかしたら、誰かが声を掛けてくれるかもしれないわね」

「氷の騎士ランスロット・グラディスも来るのかしら?」

「……どうかしら。コンスタンスが命じれば……だけど、言われた夜会には出て来ると思うから。その時に、誘ってみたらどう?」

「断られるのは、覚悟の上で挑むわ」

 そう言って彼女たち二人は、城の方の誰かに呼ばれたのか笑いさざめきながら去って行った。

 あんなに重たく濃い霧のように頭の中に立ち込めていた眠気は、どこかに飛んだ。むくりと上半身を起こし、視線を向ければ彼女たちはもう城の中に入っていた。

 自らの容姿を面と向かってここまで褒められた事もなく、自分への熱烈な思いを目の前で語られたのは初めてだった。とは言っても彼女は自分が居たと認識したとしても、それを言ったかは疑わしいが。

 多くの打算的な令嬢たちは、自分の将来を考えて爵位と家督を継ぐ嫡男へと流れる。普通ならば騎士や実業家を職業にして身を立てる必要のある次男以降の存在には、全く目もくれないものだ。なんとか努力を重ね出世したとしても、代々の伝統ある邸と領地を受け継げる爵位には敵わない。

 ディアーヌ・ハクスリーという、彼女の名前を覚えた日だった。

 少し調べれば彼女はハクスリー伯爵の長女。ラウィーニア・ライサンダー公爵令嬢の、仲の良い従姉妹。王太子妃候補のために、王妃となるための教育を受けなければならず城への足繁く通う従姉妹の元へと、たまに遊びに訪れることがあるようだった。

 越権行為で訪問の予定を見て時間を計算し、彼女の訪れを待った。颯爽と馬車から降りて城の中へと入っていく彼女は亜麻色の髪と薄紅色の瞳を持つ、可憐な女性だった。

 彼女に結婚したいと熱心に迫られれば、十中八九の人間が頷くはずだ。自分も、きっと例外ではない。

 誰とも踊らないと言われているとは、思ってはいなかった。色々と面倒な事が付き纏う貴族の世界で、この人と何かがあると思われれば良くないと判断した積極的な数人を断っただけだった。そしてこちらから誘っていないのは、踊りたい令嬢がいなかっただけの話だったが、思い返せば誘われなくなっていた。

 今年の社交界デビューの夜会は、近付いていた。彼女も年齢的に、出席するだろう。そして、自分は出会いの予感に浮かれていた。きっと彼女をその時に自分が踊ろうと誘えば、可愛い笑顔を見せて喜んでくれるだろうと思っていた。

「おいおい。ランスロット。珍しいな。お前が殿下に命じられた訳でもなく、夜会に行くんだって?」

 同僚の一人風の騎士ヘンドリックは気安く、話しやすい。夜会に出席するために、勤番を交代して貰ったのでなぜかという詳しい理由も彼にだけ語っていた。

 自分が誰かを踊りに誘おうと考えていた事など、特に気にするべき事でもないだろうと、思っていた。

「声を掛けたい女性が出席するんですよ」

「お前が!? 国中が驚くぞ。目当ての御令嬢の名前は?」

「ディアーヌ・ハクスリーです。ハクスリー伯爵家の令嬢」

「あ。俺、その子殿下主催のお茶会で、見たことある。可愛いよなー……確か、ライサンダー公爵令嬢の親戚で仲良いんだよな」

 だが、夜会が開催された日は、どうしても片付けねばならない書類仕事に捕まり……遅れて入った会場で、最悪の事態を目にすることになる。

◇◆◇

 出来るだけ早くに結婚式をすると二人が決意したのなら、それに纏わるお話の展開はとても早かった。

「本当に……ドレスが間に合って、良かったわ……」

 新婦の控室で結婚式用の白いドレスを着た私に、親族として参列するために来ていたはずのラウィーニアは大きな息をつきつつ疲れた声でしみじみとそう言った。

 有名なメゾンのお針子さんたちに特別料金を支払い、出来うる限り仕上がる時間を急がせて、本日早朝に時間に余裕を持ってこの教会に届くはずだったドレスが、橋の上に馬車が倒れ込み通行不能になってしまうという思いも寄らない事故に巻き込まれ到着が遅れてしまった。

「氷の橋って、きっと透明で綺麗なんでしょうね。私も、見てみたかった」

 事の次第を聞いた新郎のランスロットは、自ら解決に乗り出して橋の問題を見事解決してしまうと私の式用の豪華なドレスは無事に間に合った。

 後は凝った髪型と式用の濃い目の化粧の最終点検だけなので、式の開始予定時間にもかなりの余裕がある。

 彼の魔法で川に架けられた氷の橋は、子どもたちが大喜びして騒ぎ出しそう。

 壁に掛かっている時計を横目に見て時間をそれとなく確認した私に、ラウィーニアは呆れた顔で肩を竦めた。

「きっと……通れなくて困っていた人も、たくさん居たでしょうし……商人たちは、信用が命だから。あのままだと時間に間に合わない人も居たと思うし、助かったでしょうね。でも、こんなに直前までひやひやするなんて思ってもみなかったわ。婚約が成立してすぐの結婚式は、こういうとんでもない危険性も秘めているのね」

 だから、通例では余裕を持って一年とか準備期間が取られるのだと思う。他人事のように頷いた私を見て、ラウィーニアは額に手を置いた。

「こうして間に合ったんだから、本当に良かったわ。後は神様を前にして、二人で誓い合うだけ。何だか……ここまでもう本当に色々あり過ぎて、過ぎ去った時間が早かったのか遅かったのか……もう良くわからないわ」

「クレメントと別れてから……色々あったわね」

 クレメントはランスロットの近い同僚だからと、一応は招待状を送ることにはなったんだけど、丁重なお断りの手紙と多額のご祝儀を頂いた。

 現在は他の同僚が出席するために仕事を任された彼は、遠征で国境あたりの辺境に居るらしい。

「そうね。あんなクズな事を仕出かした元彼も、いつか誰かと幸せになってくれたら良いなって思えるくらいには……今は、とても幸せよ」

 扉からコンコンと控えめな音がして、私の待っていた人が来たようだった。

◇◆◇

 王都で行われるお祭りは、いつも肌寒くなる直前の季節。

 私はこの時の為にと調達した平民っぽい可愛いワンピースを着て、晴れてこの前に結婚をしたばかりの夫であるランスロットとお祭りデートをしていた。

 道行く女性が彼に目を留めて注目してしまうのは、仕方がない。彼が今まであまり見たことなどないだろう稀に見る美形であることは、一番近くで顔を観察することの出来る妻の私がとても良く知っている。

 貴族がお忍びで街に出ることはままあるものの、私は心配性の兄と一緒でなければ出ることが親から許されていなかった。未婚でクレメントと付き合った時もそうだった。成人も迎えているというのに、兄と一緒に恋人とデートしたくはない。

 という訳で、こうして平民っぽい格好で恋人と街歩きデートを産まれて初めて楽しんでいるという訳。

「どれもこれも、美味しそう! 目移りしちゃう。屋台で、何か食べてみたいわ」

「お腹を壊しても、知りませんよ」

 ランスロットは、大きな手を私と繋ぎつつ淡々としてそう言った。私が張り切って指差した屋台の前には、数多くの人が待っている列が出来ていて、すごく評判も良くて美味しそうなのに。

「どういうことなの……?」

 怯えた目で彼を見れば、ランスロットは吹き出して笑った。

 氷の騎士と呼ばれ、冷徹で人を寄せ付けない空気を纏うことは、このところなくなっていた。だんだんと、表情も豊かになっているような気がする。

 それが仕事として良いことなのか悪いことなのか……私には、わからないんだけど。

 そして、彼に世間知らず過ぎることを揶揄われたとわかった私は、ムッとして顔を顰めた。

「すみません。ただの冗談ですよ。ですが、あれは平民が歩きながら食べるもので、貴族のディアーヌはこれまでに絶対食べたことがないものですよ。良いんですか?」

「もちろん。良いに、決まっているでしょう? 食べたことのない美味しいものなら、いくらでも食べたいわ」

「本当に大人しそうな顔に似合わず、向こうみずな挑戦者ですね。では、僕が買ってきますので、この辺に座っていてください」

 ランスロットは、噴水を取り巻く円形のベンチのようなものを指差した。私はきょとんとして、それと彼の顔を見比べた。

「私も、一緒に並んでみたいんだけど……」

 お祭りの屋台初体験の私は、うずうずとしていた。楽しそうに鉄板料理を作るおじさんとも、何か話してみたい。期待を込めて彼を見たら、ランスロットは苦笑した。

「ああいう屋台は、すぐ近くで火を使っているので暑いんですよ。ここで待っていて、ください」

 そう言ってランスロットは、有無を言わさずに屋台へと向かった。噴水の近くは、確かに冷たい水気を感じて涼しい。祭りの空気は、華やかで独特だ。多くの人たちの息遣い、熱気。人がこうして集まりあって、何かが高まっていくような気がする。

 遠くに見えるランスロットはすごく普通の顔をして並んでいるものの、近くにいる人とは頭身が違っていた。頭が小さくて、足が長い。これって、鍛えたからとか何かの努力次第で手に入るようなものでもないから、神様がもし存在したとしても彼は万人に平等ではないことは間違いなさそう。

 ランスロットは屋台のおじさんと二言三言話して、串焼きを持って彼はこちらに近づいて来る。

 そろそろ、この広場には大きな櫓が組まれ、祭りの象徴となる大きな炎が舞い上がる。その周囲に人は集まって、楽しそうに踊りを踊り出した。

 黒い夜の中に、ゆらめく赤い火。

 その色を見て私はなんとなく、終わった恋の相手を思い出してしまった。別に今未練なんか、全然ないけど。

 ただただ、色で連想してその人を少し思い出しただけ。あの時は、本当に好きだったなぁって、そう思うだけ。

「……あんな風にして過去の恋って、燃えるのかもしれない。きっと次の恋をしたら、綺麗さっぱりなくなってしまうのよ」

 私がぽつりと呟いたら、低い声でランスロットは答えた。

「では、僕らの恋は氷漬けにしてしまおう。絶対に、燃えることのないように」

 明るい赤い火に照らされる、ランスロットの真顔を見た。それは冗談が冗談に聞こえない彼らしい言葉のあやだと、頭ではちゃんと理解してはいてはいても。

「ちょっと……もう。本当に出来そうだから、なんか怖いんだけど?」

 そうして、私達二人は微笑み合う。これからも、ずっと一緒に。

Fin

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