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また、虐待事件が・・・

虐待事件

目黒の虐待事件で死亡した結愛ちゃん
虐待死させた父親雄大被告の法廷でのやり取りを読んだ。

「私が親になろうとしてごめんなさい・・・」これは何語で話しているのだろう?私にはこれが日本語には思えない。
理想の親になろうとして、5歳の子に水をぶっかけたり、食事を与えなかったの?
 言葉では誤っている風だけど、自分を正当化しようとしている以外の何物でもない気がする。
 もう少し早く誰か一人でも気づいたら、結愛ちゃんは今では6歳になっていた。3歳でトイレ掃除をしている結愛ちゃん・・・
私なんか15歳の時もやったことがない。
 繰り返ししつけ‼しつけ!と言っているけど、
 では 自分のしつけはどうなっていたのだろうか?
 雄大被告の父親がやってきて多少のコメントを残している。「刑務所に入ったら面会に行き、手紙をやり取りして悩みを聞き、助言をします。やれることをやってゆきたいです」かかわりが薄かったと感じているという。
30歳半ばに育っている男に親の責任はもはやないだろうか?
 死亡した結愛ちゃんには何をしてあげるのだろう?人は狭い参道を通過できるように未熟な部分を残して生まれるため成長の過程が長い。
 親の母体から出てきてすぐに立ち上がる牛は馬とは土台違う。さらに思うように育てようと思うこと自体が問題なのだ。
 成長過程が長くても、一人一人の個性ある人間なのだ。
 嫌いなことや、好きなことも成長の中で徐々にはぐくまれ、いいことも割ることも覚えてゆくし、幼くてもそれぞれの個性はそこそこ備わっていて、一様ではありえないのだ。

 およそ世間の他人へ危害を加えた人間でも、本人に取っ手はそれなりの理由がある。虐待が憎いのは、5歳やそこらの幼い子供が34歳の男に何をしたか、どう抵抗しようとしたか、抵抗のすべがないことが許せないのだ。部屋の中を逃げるか、誤るとか泣き叫ぶしかできない。
 被告は、おそらく虐待するほどにそれが気晴らしとなり、エスカレートしていったのではないのかと思ってしまう。

 懲役13年‼‼、私はそれじゃ足りないと思った。5歳の子供なんて突っつけば倒れるし、殴ったら死んでしまう。そんなことわからいのかな?
 大の男が手を上げたらそれだけで大人の私だって怖い、気を失ってしまうほど恐ろしい。きっと恐ろしくて、怖くて体の悲鳴以上に心が叫び声を上げていたことだろう。
 お母さんは当てにできない、助けてもらえない。神様って言葉だってまだ知らない。何のために生まれてきたのか。殴られるため、冷水を浴びるため、虐待されるため
 母親は一生この子のことを引きずって生きることになるだろう。控訴したっていうけど今後どうして生きてゆくのだろう。まともだったら、黙って引き受けるしかない。
 一人で二人の子供の面倒は見れないって、やってみなきゃわからないのに。守ってくれるはずの親から、虐待を受けて死んだ結愛ちゃん・・・
 おそらくこの男も、そして生んだはずの母親も安心した環境は知らないのだろう。
 しかし、だから無理ない・・・というのはやめよう。
言えるのはどう考えたって結愛ちゃんには罪はないもの。
 温かい家庭の味は知らなくても、TVや友人の会話から想像できるではないか、大人だもの。5歳ではないもの。
 まだまだ今後のこのような事件が続くのだろうか。

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