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全うした@町医者エッセイ


 
老衰で、最期が迫っていた常男さんが、やっとの思いで声を絞り出しおっしゃいました。もはや目は開ける力も残っていませんでした。常男さんは、この翌日にお亡くなりになりました。
 
まもなく最期を迎えんとする患者さんに、私は、お聞きすることにしています。
 
「どのような人生でしたか?」
 
患者さんをしっかり憶えておきたい、患者さんが歩んだ人生を憶え患者さんの物語を残し繋いでゆきたい、そういう思いからお聞きしています。
 
 
さて、「全うした」と語った常男さんは、すでにやりきられたのか、今すぐにでも呼吸が止まりそうな勢いでした。私は慌てて常男さんに訴えました。
 
「常男さん、あと少しだけ頑張って。明日、息子さんが東京から戻ってくるので。親の死に目に会うことは子どもの努め、子どもに死に様を見せるのは親の役目でしょう」
 
常男さんは、「わかったよ」と言わんばかりに微かに頷きました。ちょっと目が笑っていたような気がしたのは私だけでしょうか。それにしても人生の大先輩に随分と偉そうに言ったものです。
 
翌日、息子さんが帰省されました。常男さんは私の懇願を聞き入れてくださったのか、息子さんの帰りを待っていてくださいました。親の役割と子どもの役割、送られる側と送り出す側。きっと、双方にお作法があるのではないかと。私は臨終の場に双方が揃うことがお作法の大切な一つだと思っています。
 
息子さんが戻られて半日ほど経過した頃、常男さんは「全うした人生」を完全に全うされました。息が止まったようだと電話でお知らせいただき、常男さんとご家族のもとに伺いました。人生を全うされたとおっしゃるに相応しいお顔で常男さんが出迎えてくださいました。
臨終の確認後、息子さんが口を開きました。
帰省してすぐにお父様にスポーツドリンクを飲ませたのだそうです。そしたら激しくむせて、確かにこれは寿命だと確信したと。私はちょっと意地悪に「あやうく窒息死となるところでしたね、老衰じゃなく」と冗談めいて切り返し、息子さん含めて笑い合いました。
逐一報告を受け状況は理解されていたはずですが、実際に目の前に横たわるお父様をみたら、何かされたかったのでしょう。お子さまのお父様に対する愛情です。息子さんには心から敬意を表しました。
 
ちなみに、私は、あと四つ、最期が近づきつつある方に聞いておくことがあります。少しでも後悔が少ない人生と晩年を過ごしていいただきたいので。もちろん常男さんにもお尋ねしました。
 
「食べておきたいものはないですか?」
「行っておきたいところはないですか?」
「会っておきたい人はいませんか?」
「伝えておきたいことはありませんか?」
 
最後にもう一度常男さんのお話に戻りましょう。人生を全うされた常男さん。全うされた常男さんの人生の晩年と最期に立ち会えたこと、最後の主治医であれたこと、私の最高の誇りです。

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