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苦楽をともに。<町医者アーカイブス⑥>

<町医者アーカイブス⑥>
これは、町医者松嶋大ブログに2020年9月に投稿した過去の記事です。

横線


人生いろいろだ、最近、つくづく心からそう思う。
実は、体調を大きく崩した。

大げさに言うと、一瞬、死ぬかと思ったほど。
ここ、1,2年、時々、体調が悪いときがあった。

一切誰にも言わなかったけど。
今回、さすがに一瞬でも死を覚悟するほどの体調不良だったので、これはマズイと思った。

家族に相談し、自己診断し、なるほどなと。

それで、いつもとってもお世話になっている先輩に相談。
そして治療を開始。

すると、最近の激しい体調不良と、ここ数年のことが嘘のように、いい方向へ。ひとまず安心だけど、苦悩はまだまだ続く。

ちなみに医者の不養生ではない。昔からの持病の再発。
(もう一つ強調しておきますが、過労とか、働きすぎとか、そういうのでは一切ありません)

体調不良をカミングアウトして、お涙頂戴とか、同情されたいとか、共感されたいとか、そういうことでも全くない。
単なる報告。

医者のぼくも人間だし、たまには体調も悪くなりますよ、そりゃあねと。
(大げさに言えば)一瞬でも死を覚悟したのは、さすがにショッキングだったので、一大決心をした。

それは、診療制限。
まだ、もう少しは医者でいたいので、少し自分の身体もいたわって、身の丈にあった診療を心がけようと。

ところが、これは、医師・松嶋にとっては一大決心であり、苦渋の決断。
医者になって21年、ぼくは、ほぼ一貫して24時間365日、闘ってきた。

昼夜、平日休日問わず、海外にいても、連絡はいつもくる。
そんな生活が当たり前だったし、それが医者だと思っていた。

ただ、40代も半ばになって、この生活をいつまで続けられるかなと考え始めてもいた。

そんな中、今回の極々わずかながらの死を感じた体調不良で、考えが急加速した。

そうだ、ぼくも人間だ。

いつか死ぬ。

それは今日かもしれないし、明日かもしれない。

いつ死んでも良いように日々最善を尽くしているつもりだったけど、正直、もう少し生きたい。

自分の目で、自分の手で、送り出さなければならない患者さんが少なくない。

両親より先に死ぬわけにはいかない。
家族のこどもたちの幸せをもう少し願っていたい。

あぁ、なんて大げさな。
でも、そう思う。

診療制限は、週2日くらいは、夜はぐっすり眠らせてほしいと。
そのくらい、人間としては当たり前だと思うけど、ぼくは医者だ。

患者さんが苦しいとき、つねにそばにいたいし、伴走したいし、最善を尽くしたい。

それが、2日できなくなるかもしれないと思うと。。
この診療制限にて、数名の患者さんの主治医を離れることになった。

残念だが仕方がない。
その方々にとって、万一でも医者が往診してくれないのはしんどいだろうから。

一方、多くの患者さんが、この診療制限を受け入れてくださった。

それだけではなく、「お大事に」とみんなに声をかけてもらった。
こんな幸せな医者はいるだろうか。

ぼくは、これまで、医者として、患者さんの苦にわずかであっても伴走してきたつもりだ。
そして、ぼくの楽しみを存分に提供もしたし、患者さんの楽しみも分けてもらった。

まさに、苦楽をともに。

でも、ぼくの苦を患者さんに見せることは絶対にしてこなかったし、しないつもりでいた。

けど、今回は、苦を見せざるをえなかった。
これで、正真正銘、苦楽をともに、となった。

患者さんの苦楽、ぼくの苦楽。
苦楽をともに、これから、さらに一緒に歩んでいきたい。

追記

こんな町医者を主治医に指名してくださる患者さんに感謝いたします。
がんばります。

横線

<町医者アーカイブス⑥>
これは、町医者松嶋大ブログに2020年9月に投稿した過去の記事です。


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