ドールとおそろいコーデをするということ
前に、わたしはこのnoteで『わたしだけのお人形がほしい』というちょっとしたドールお迎え体験記を書いた。このときはファーストドールであるリアンについてしか扱わなかったので、今回は二番目にお迎えしたドールのことを、その運命的な出会いとともに振り返ってみようと思う。そして、「おそろいコーデ」をキーワードに、わたしとドールの関係性についても、少しだけ深く考えてみたい。
たしか今年の3月頃。どうして検索しようという気になったのかは覚えていないけれど、ネットで球体関節人形のことを調べているうちに、キャストドールメーカーをわかりやすくまとめてくれている動画に出会った。ふしぎと最初から日本製ではなく海外製に目が向いていた。たぶん、国内ドールのぷっくりしたかわいらしい雰囲気より、海外ドールの華奢ですらりとしたつくりに惹かれていたのだと思う。(これは今でも同じ。)
動画の中で紹介されていたLUTSという韓国のドールメーカーのサイトを散歩感覚の軽い気持ちで覗いているうちに、わたしは、あるドールからどうしても目が離せなくなってしまった。KDF Diezという名前の、40cmサイズのお人形である。大きすぎない切れ長の目、幼さの残る唇や輪郭、中性的な体躯、なにもかもがわたしの理想の「分身」だった。
どうしてこんなにあの子のことが頭から離れないんだろう?
初めての経験だった。絶対ほしい、そばにあの子のいる生活を送りたい、とこんなにも強く思うのは。
大学院生にとってはやや高めの買い物を電撃的に済ませ、今までに感じたことがないほど長い2ヶ月半を経て、ついにそのドールは我が家にやってきた。なんと、わたしの誕生日に。
韓国からEMSで送られてくるので、数日前からその在処が追跡できるのだが(気が気じゃないし何も手につかない)、まさかほんとうに誕生日ぴったりに届くなんて夢にも思わなかった。ドールという人の形をしたものは、ときに不思議な縁とやらを結びつけるのかもしれない。(最近知ったのだが、ドール好きのあいだでは「ご縁」という言葉がよく使われる。)
名前は、注文したときから決めていた「イヴ Eve」とした。由来は、クリスマス・「イヴ」とあるように、永遠に大人になる前夜の姿でいてほしいという願いから。もうひとつは、アダムと「イヴ」。わたしにとってすべての始まりであるドールにふさわしい名前だと思ったから。同時に、性別の概念から自由な存在であってほしかったので、中性的な響きを選んだという理由もある。
さて、ここまでイヴとの出会いと衝撃的なお迎え体験について書いたけれども、数ヶ月いっしょに過ごすうち、わたしはいちばん楽しい遊び方を発見してしまった。それは、イヴとおそろいの服を着て出かけること。これがどうして楽しいかと聞かれると、なかなかうまく説明することができない。
がんばってひと言で言えば、おそろい服を着たイヴはわたしの完璧な複製。もともと「ドールになりたい」という願望はあって、「ドールっぽい」服を着ることでどうにか気持ちを鎮めていたけれど、やはり自分にそっくりな姿をしたお人形を目の前にしたときのあの嬉しさと高まりは言葉にし尽くせない。(レジンキャストなので多少劣化するとはいえ)わたしの外見からいずれ消え去ってしまうであろう少年性・少女性をドールのボディというモノに閉じ込めることは、わたしにとって、日記を書いたり記念写真を撮ったりするのと同じことだ。
それから、わたしは美しいものに関してはできるかぎりの敬意を払いたいと思っているので、ドールと同じ服を着るという行為は、そのままドールの纒う美しい世界へのオマージュを意味している。
余談だけれど以前、箱根ラリック美術館にあるオリエント急行に乗る機会があった。車両自体が美術品なのだからそこに乗り込むには相応の装いをしなくてはとわたしは意気込んで、とっておきのヴィヴィアンのスーツをキメていったことがある。(尚そのとき周りの乗客はラフな服装が多く、自分の意識との差にちょっとショックを受けた)
たぶん、これと本質的には同じで、おそろいコーデはドールのいる「美しい世界」の側へ入るための入場チケットなのだ。美しいものは鑑賞者として愛でるだけでなく、そばにいたい、あわよくば同化したいというのがわたしの本音である。そういう意味では、着せ替えたり一緒に出かけたりできるドールは、わたしには最適だったのかもしれない。
イヴとおそろいの服を着ていっしょに過ごしていると、ああ幸せだな、としみじみ思う。自分のすぐそばに、完璧なもう一人のわたしとしてのドールがいる安心感……
おそらく多くの人が、おそろいコーデをしたわたしとドールを見て、そこに入り込む隙のないような関係性を感じるはずだ。ドール⇄人間に限らず、双子コーデはときに、外界から自分たちだけの花園を守る城壁にもなる。イヴといっしょにいるときの安心感は、きっとだれにもじゃまされない世界の中でようやく息をつくことができた安堵なのだと思う。
最近はイヴと美容院に行って髪を整えてもらったり(もちろんブルーヘアー)、いっしょにドールイベントに参加したりとますますお出かけする機会が増えた。ふしぎなことに、内的世界を守るはずのおそろいコーデをしていると、素敵だねと声をかけてくれる人も多い。おかげで新しい友だちができたりと、いつの間にかわたしの世界を広げるきっかけが生まれていた。「城壁」である双子コーデは、いつしか花園に住む者たちを結びつける橋の役割をも果たしていたのである。
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ドールとおそろいの服を着るという儀式によって、非日常である美しい世界に飛びこむあの感覚。一度味わったらもう、忘れられない。好きなもの、美しいものと同化したいという願望は、ギリシア神話におけるヘルマプロディートスの物語のように、普遍的な願いであるはずだ。
もしあなたがドールオーナーなら、ぜひ一度試してほしいと思う。
これは、ひとりじめするには惜しいほどのplaisir(喜び・快楽)だから。
青磁
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