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影響を受けたアーティスト①

一人で音楽活動をし始めたのは、ちょうど矢井田瞳がヒットしたころで
ギター女子的なアーティストにスポットが当たっていた時期だった。
いろんなギター弾き語りアーティストがいた中で、私は岡北有由と出会い、どハマりした。

初めて彼女の音楽を聴いたのはいつどこでだったか、もうすっかり忘れてしまったが、
1stアルバムの「ベイスメント・ダイアリー」がとても好きで、スコアブックまで買い、コピーしていた。
当時の岡北有由は、レビューの言葉を借りると、激情型シンガーソングライター。
インディーズ時代にリリースしたアルバム「Panda」の帯に書かれた
『喰らえ!アッパー&ダウナーなあゆワールド』というフレーズが
当時の彼女の音楽とてもよく表している。
オリジナル曲を作り始めたのもこの時期だったので、必然的に岡北有由に影響を受けまくったオリジナル曲であった。

「当時の」と付けたのは、岡北有由の音楽はその後すごく変化し進化していくからである。
日本のメジャーレーベルを去ったあと、イギリスへ渡り、ソロやバンドで活動していた。
デビュー当時のザクザクとギターをかき鳴らして激情を歌っていた彼女の音楽は
イギリスでNedryとして活動する頃には、デジタルを取り入れた現代音楽的なサウンドになっていた。
そして歌う声はひとつの楽器として進化をしていく。

その変化・進化をずっと追いかけ続けて、現在のAyu Okakita名義になってなお、私は彼女の音楽に影響を受け続けている。

話は戻り、

「ベイスメント・ダイアリー」の楽曲をコピーしていた頃、私は路上で弾き語りをしていた。
家で一人で弾いているだけでは物足りないが、ライブハウスに出演はハードルが高い。
そう思っていたところ、駅前で路上ライブをやっている同世代の人たちを見て「あ、これだ!」と思い、すぐに飛び込んだ。
当時はまだマイクやアンプといった機材は高く、大半は生音で声張り上げるスタイルの路上ライブをしていた。
もちろん私もそのスタイル。
おかげで声帯は鍛えられた…はず。
その頃はゆず、コブクロ、19、唄人羽などをコピーする、男性デュオが多かった。
どこに行っても同じような曲が聞こえてくるので、じゃあ私は違うものを・・と、岡北有由の曲を意気揚々と弾き語っていた。
それがきっかけで、薺(なずな)の相方と出会うことになる。

そんな岡北有由好き繋がりで出会い、結成した薺は、来年で20周年を迎える。
ということは、私が岡北さんを好きになって、もう20年以上になるということか。
彼女と同時期に、いわゆるギター女子系のもてはやされ方でデビューした人たちで、今も活動を続けている人はどれくらいいるんだろう。
好きなアーティストが、メジャーではなくなっても、ずっと音楽を発信し続けてて
それをずっと追いかけ続けてこれたって、実はすごい幸運なことかもしれない。
これからもずっと、岡北さんの音楽の変化・進化を追いかけ続けて、刺激を受け続けたい。

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