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社会教育がむしろわからなくなってきたという話

11月中旬に社会教育関係で複数の現場にお邪魔する機会に恵まれた

いい意味でたくさん揺さぶられて
「社会教育」がよくわからなくなってきた。。。

わかったつもりになっている時は悩まないのだけれど
本質に触れ始めてくると、むしろ「わからなく」なってくる
きっとそういうものなのかな

そんな状況だけれども
このタイミングで「社会教育士」についてちょっと話を聞かせて
というご連絡が(これまたありがたい。感謝!)

自分の頭の整理のために書き出してみると
社会教育の勉強を通じて「学んだ」ことは、ざっくり次のとおり

・社会教育の中で、本当に大事なところは、
 「教える・教わる」の中にあるのではなく、自ら「学びとる」もの。

・あらゆるモノコトの中に、「学び」のきっかけはあるので、
 「何かを教えなきゃ・伝えなきゃ」と力む必要もない。

・(これまで苦手意識を持っていた)曖昧さ、ゆらぎ、余白こそが
 学びが広がるふかふかな土壌。

・“大人“も”こども”も共に学びあう関係にあり、
 自分たち“大人”の在り方がむっちゃ問われている。

何か特別なノウハウや知識を身につけた・資格を取った
そのことで何かが劇的に変わったというよりも

自分自身の価値観や在り方が変わった
そして、それこそが自分にとって大きかったのだなと

その結果、自分自身が前よりも地域で動きやすくなった
そんな感覚を覚えている

失敗含めて全部学びに変えられるもんね
そんな根拠のない自信がここにある

というか、中途半端な成功よりも
ちゃんと失敗した方が学び深いもんな

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