3.人生初の出稼ぎとその後


飲み屋、メンズエステ、ソープと夜の仕事はかじっていたものの、飲み屋はお客様との連絡の交換、メンズエステはツイッターのみ、ソープは写メ日記があるが在籍だった為、規定などはない。


出稼ぎには、「保証」がある。
保証とは、「あなたがお店の規定を守れば、この額のお給料は保証しますよ」と言ったもの。


人生初の出稼ぎでの「規定」は、12時間待機(寮待機)、自宅NG不可、写メ日記1日4回、寮費3000円、雑費5%


初のデリヘルだが、お店のコンセプトは、マッサージからの、抜きという店舗。
メンズエステをやっていた為、そのお店のコンセプトは適していた。


面接をして、デリヘル経験ゼロのわたしにある程度の流れを説明してもらい、源氏名を決め、寮へ。

初出勤1日目、撮影と講習を終え仕事へ。
そこからは、あっという間に8日間が経った。
8日間の内、後半3日間はお茶でした(苦笑)


それからと言うものの、家がなく仕事をして寮を借りなければならなかったわたしは、ひたすら出稼ぎ1本で仕事をすることに。


2店舗目の出稼ぎは、広島。
広島は条例により、パーテションかカーテンでお部屋を閉めるため、冬はとても寒かったし、隣でコールが鳴り止まないのも、喘ぎ声も、ガンガン聞きたくないものが聞こえるため、「わたしは必要じゃない」と思う事もしばしば。

ここの店舗にたまたま同じスカウトを通していた女の子と知り合い、今でも仲良くしている妹のように大切な存在と出会う。


「15時間待機にした方が稼げるけん、やってみる?」と、お店の店長さんに言われた為、初の15時間待機をしてみることに。

もう、本当に、言葉に表せないほど、疲労困憊。
寮に帰ってもクタクタで、ご飯も食べずにバタンキューが7日間続いた。

それでも頑張れたのは、広島のその店舗のお客様はみんな割り切っていて、クセが無く客層が合っていたから。
当時のMAXのお給料は、1日で10万オーバー。

本指名も返ってきて、やはりソープが合っているなと実感。
当時は、攻めも受けも両方やっていて、お客様に合わせて接客していたが、こうも連続で続くと痛いわ痛いわで、攻め派に転身。


3店舗目の徳島ではソープで働き、徳島では保証払わない問題まで発生したが、無事保証額は貰え、難なくクリア。
ここで、今でも繋がっているお客様と出会う。


4軒目で和歌山に出稼ぎに行った時、人生で初めて「当欠」をした。
偏頭痛が酷すぎて吐いてしまった為、泣く泣く休むしかなかった。
その結果、出稼ぎは打ち切りになり、帰宅せざるを得なかった為、ツイッターで絡みのある子が多くいる大阪へ行くことに。

大阪での数日間は、本当に毎日が楽しくて、ここに住みたいと強く思った。
それからは、大阪を拠点にすることに。
ビジネスホテルやラブホテルで寝泊まりして、家を借りるための初期費用と家具家電代を稼ぐ毎日。

12月後半〜1月頭まで、リピート店の広島で、本指名のお客様にも数名会えた上に、過去最高額を稼いだわたしは、1月にようやく家を借りられることに。

が、しかし、その店舗は、12月31日21:00で閉店する事になってしまった。

その為、日付が変わる瞬間は、広島に居る男友達と中華屋さん(?)台湾料理屋さん(?)で坦々麺をすすった。

どうしても稼いだお金を使いたくないし、ビジネスホテルも満室、ラブホテルも満室だった為、漫画喫茶で寝泊まりすることに。

一緒に年を越してくれた男友達には感謝している。
(今でも仲良し👌🏼)


元日は1日中、職を探した。
閉まってしまった店舗から、系列店に行くことを薦められたが、どうしても決めた期間は広島で仕事をしたかった為、断った。


当時の友達が、メンズエステで出稼ぎをしていることを思い出したわたしは、友達から店舗を教えてもらい、店舗へ連絡。
元日ではあるものの、早急に出稼ぎを組んでくれた。


期間である残りの2日間は、メンズエステで仕事をした。

家を出てから約2ヶ月でクレジットカードの支払いもしつつ、ホストクラブにも通いつつ、家の初期費用と家具家電代を稼げたんだから、OLをやっていた時の自分では考えられない喜びだった。


つづく

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